奈良・鎮護の道もだいぶ終盤だな。

ラーメン無鉄砲の系列店を攻めていたら、奈良県の神仏霊場がサクサクと攻略できる。今日は大和郡山の「がむしゃら」。

今回はじめて魚介とんこつを食ったが、俺はこっちのほうが好みであることがわかった。これからは無鉄砲系列は魚介とんこつでいきます。

  • 廣瀬大社:神仏霊場巡拝の道・第三十一番(奈良十八番)札所。
    主祭神若宇加能売命(わかうかのめのみこと)。伊勢神宮外宮の豊受大神伏見稲荷の宇迦之御魂神と同神で、広瀬大忌神(ひろせおおいみのかみ)ともいわれる。

    相殿には櫛玉命(くしたまのみこと)と、穂雷命(ほのいかづちのみこと)が祀られる。 櫛玉命は饒速日命(にぎはやひのみこと)とwikipedia。この神社の社家(代々神職やっている家)である樋口氏は、饒速日命を祖神とする物部氏の末裔であるとwikipedia、穂雷命は火産霊(ほむすび)、カグツチとも言う。

    廣瀬神社は大和盆地を流れる川の分岐点に祀られていることから「廣瀬の水神」と称され、「龍田の風神」と呼ばれる龍田大社と並び証されている。

    社史によると、紀元前89年、廣瀬の河合の里長に御信託があり、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになったのが始まりだという。
    天武天皇が675年4月10日、風神を現在の龍田神社に、大忌神を現在の廣瀬神社に祀って以来(毎年4月・7月に行われる広瀬大忌祭の起源とされている。)、皇族からの篤い崇敬が得られた。

    が、永正3年(1506年)に戦乱で焼失。その後豊臣秀吉によって社領をほとんど奪われ、9000坪ほどになる。現在の社殿が建てられたのは、正徳元年(1711年)になってから。


    一の鳥居を抜けてテケテケ歩くと最初の末社日吉社に出会う。日吉大社の末社でしょう。なのにキツネが祀ってあるのは…?猿じゃねぇの?


    日吉社の近くにあった、三輪山遥拝所と書かれた看板。この穴から三輪山が拝めるぞ、てことか。


    日の丸稲荷社。稲倉魂神(うかのみたまのかみ)を祀っている


    祖霊社。歴代の神主や氏子を祀っている。


    祓戸社。「諸人が知らず知らずのうちに過ち、犯す罪穢れを、祓清める神」としか、かかれていないが、祓戸四神…瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ)、速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ)…のいずれかであろう。


    日露戦争の戦利品の大砲。拝殿の東側に展示されていたが、平成16年(2004年)日露戦争100年を機に現在の場所(手水場の隣り)に移転した。


    二の鳥居と手水場。


    神馬舎?馬の模型があった。

  • 當麻寺:神仏霊場巡拝の道・第三十二番(奈良十九番)札所。「たいまでら」と読む。山号二上山。本尊は当麻曼荼羅という曼荼羅図。曼荼羅図を本尊にしていたので元興寺智光曼荼羅があったが、その2つと、清海曼荼羅(せいかいまんだら)の3つで「浄土三曼荼羅」と呼ばれとるんだと。

    開基に関しては諸説あるが、オフィシャルサイトによると、612年、聖徳太子の弟、麻呂子(まろこ)親王が河内に万法蔵院(まんぽうぞういん)を建立。その後、681年に当麻国見(たいまのくにみ)が、役行者(えんのぎょうじゃ)開山の当地へ移した…という。


    元々の本尊はこの金堂に納められた弥勒菩薩だった。平安時代の頃にはメインの信仰対象は当麻曼荼羅に移り、当時曼荼羅堂と呼ばれていた堂宇が本堂になっていったわけ。弥勒菩薩の他、四天王と不動明王が納められとる。


    お寺の人から聞いて、境内図を参照すると、今の金堂が本堂だったときは、金堂の南側が入り口だったという。今は金堂の裏側になっているけど。その両脇に三重塔が立っているのはそういう理由だったのだ。

    当麻曼荼羅についても説明せねば。作ったのは藤原豊成の娘(とされている。確証がないため)中将姫。
    幼い頃に母親を亡くし、継母に育てられるが、その継母がたいそう意地悪で、命まで狙われてしまう。
    姫は大和の国の雲雀山に逃れ、16歳のときに當麻寺に尼として出家。法如(ほうにょ)と名を授かる。
    その後、仏行に励んで、徳によって仏の助力を得た法如は、五色の蓮の糸によって一晩で曼荼羅図を織り上げる。それが、この寺の本尊である当麻曼荼羅(たいままんだら)である。
    それからも、人々に現世浄土の教え(この世で浄土を観じる教え)を説き続け、29歳のときに、生身の阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土へと旅立ったのであった。

    …という伝説が残されている。中将姫伝説は浄瑠璃や歌舞伎の題材にもなったそうで。ちなみに、本堂にある当麻曼荼羅は、室町時代に作られた転写本…レプリカントである。原本は秘蔵なんだと。


    他の堂宇も見て回ろう…。仁王門は現在改修工事中。


    梵鐘。白鳳時代(645〜710年)に建造された、梵鐘の中では日本最古のもので、国宝。


    金堂の真向かいにある講堂。薬師如来像を納めている。その他、妙幢菩薩(みょうどうぼさつ)や地蔵菩薩など、藤原時代(平安時代)の仏像が納められている。


    本堂の右手奥にある、大師堂と納骨堂。元は奥の院だったという。現在の奥の院はこの先にあるが、有料だったのでやめた。


    西塔。


    適当に撮った伽藍。後ろにチラリと写っているのが、東塔。當麻寺にはいくつか塔頭寺院があったのだが、どこも有料だったので入ってない。

今日はこれまで。