京都は本当に多い。

  • 青蓮院:近畿三十六不動尊・第十九番札所ならびに、神仏霊場巡拝の道・第百十五番(京都三十五番)札所。山号はなし。本尊は「熾盛光如来曼荼羅」(しじょうこうにょらいまんだら)だが、札所本尊の不動明王は、上画像の本堂に本尊と背中合わせの形で納めてある。



    この不動は青不動明王童子像、別名「青不動」とも呼ばれていて、三井寺の「黄不動」、高野山明王院の「赤不動」と併せて三大不動と呼ばれとる。

    歴史の方を。起源は、比叡山延暦寺にあった青蓮坊という。門跡寺院になったのが平安時代末期の1150年(久安6年)。鳥羽法皇の第七王子である覚快法親王が、当時の大僧正、行玄(藤原師実の子)の弟子となったことがきっかけである、それを機に、青蓮院と改名した。明治以降に門跡寺院という制度は廃止されたが、皇族や摂家が歴代門主を務めた名残か、現在の門主旧宮家(旧東伏見家)なのだ。


    門。門だわな。


    駐車場にあるドデカい木。親鸞自らが植えたクスノキと伝えられている。ちなみに京都市の天然記念物だぞ。


    入口。まぁ、入口ですな。


    適当に撮った庭園やら


    本堂から見た宸殿。

  • 八坂神社:神仏霊場巡拝の道・第百十六番(京都三十六番)札所。
    素戔嗚尊 (すさのおのみこと)、櫛稲田姫命 (くし(い)なだひめのみこと。素戔嗚尊の妻)、八柱御子神 (やはしらのみこがみ)を祀る。八柱御子神素戔嗚尊の8人の子供で八王子とも呼ばれる。wikipediaによると、八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神須勢理毘売命なんだが、オフィシャルサイトでは全然違う。なんだこりゃ?
    配神として祀られているのが、神大市比売命(かむおおちひめ)、佐美良比売命。いずれも素戔嗚尊の妻である。そして、稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)。櫛稲田姫命の両親であるアシナヅチテナヅチの別称。
    社伝では斉明天皇2年(656)と高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、ここでゴヅテンノウ(牛頭天王)を祀ったのが起源とも言われている。そして、八坂造(やさかのみやつこ)姓を名乗るようになったと。これが八坂神社の名の由来なのだ。
    ちなみに、牛頭天王は、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神である。この辺が祇園と呼ばれる由来なのですな。さらに、日本では素戔嗚尊と習合されていたのだ。
    史実によれば、平安時代の頃にあった観慶寺(別名が祇園寺)にあった「天神堂」が八坂神社の前身である。観慶寺はその後衰退し天神堂だけが残って、それが祇園社と呼ばれるようになった。
    明治時代の神仏分離令により、それまで牛頭天王と習合されていた素戔嗚尊主祭神になり、同時に祇園社も八坂神社と改称した訳。
    てか、オフィシャルサイト、文章が難しすぎる…。以下、摂末社など。


    西楼門。祇園のランドマークですわな。


    手水場。


    摂社・疫神社。蘇民将来を祀る。放浪していた素戔嗚尊を貧しいながらもおもてなしして泊めたことに感銘して自ら正体を明かし、疫病が流行った際に茅の輪をつけて「蘇民将来の子孫なり」といったら疫病にかからなくなる事を約束した言う。近所の神社で無病息災を祈って茅の輪くぐりという祭りがあるが、これが起源なのだろう。


    太田社。猿田彦命・天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀る。扁額には「白鬚神社」とも書かれているが、猿田彦神は白鬚神とも呼ばれている。


    大国主社。大国主命、琴代主命、少彦名命を祀る。縁結びにご利益があるそうで、ハート型の絵馬がよーけかかってましたわ。


    大年社。大年神(おおとしのかみ)と巷社神(ちまたやしろのかみ)を祀る。大年神素戔嗚尊の子だ。


    十社。右から、多賀、熊野、白山、愛宕、金峰(きんぷ)、春日、香取、諏訪、松尾、阿蘇の十社。祀られている神はここを見てくれ


    厳島社。市杵島比売命を祀る。


    祖霊社。


    五社。右より、八幡、竈、風、天、水の五社。祀られている神々はこちらを見てくれ。


    刃物神社。天目一箇神を祀る。神社の名の通り、刃物の神様である。


    日吉神社大山咋神大物主神を祀る。


    美御前社。多岐理毘売命(たぎりひめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)の三神を祀る。素戔嗚尊天照大神と誓約(うけい)をしたときに、素戔嗚尊が持っていた十拳剣を天照大神が三段に折って、天の真名井に振りすすいで生まれたこの三神は、宗像三女神とも呼ばれている。美の神様として、舞妓さん、芸妓さん、化粧品や美容関係の方々から信仰を受けているそうだが、俺が行ったときは改修工事してやんの!

    そういうわけで、回収前の画像はこちらになります。クリエイティヴ・コモンズ受けているものを使っております。

    Yasaka-jinja, Kyoto / aschaf



    摂社・悪王子社。素戔嗚尊の荒魂を祀っている。元々は別の場所にあった摂外社だったが、八坂神社の摂内社になったのは明治10年とのこと。


    大神宮社。天照大御神豊受大神を祀る。


    玉光稲荷社。


    玉光稲荷社の後ろにある命婦稲荷社。どっちもやけにピッカピカだな。


    北向蛭子社。事代主神を祀る。京都のえべっさんである。


  • 智積院:近畿三十六不動尊・第二十番札所ならびに、神仏霊場巡拝の道・第百二十番(京都四十番)札所。山号含めた正式名称は、「五百佛山(いおぶさん)智積院 根来寺」で、本尊は金剛界大日如来
    元々は根来寺塔頭寺院だったが、天正13年(1585)、豊臣秀吉の軍勢により、根来寺は焼き討ちに合ってしまう。その時、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は京に逃れ、秀吉が死ぬまで、再興の時を待つこととなる。
    慶長6年(1601年)、徳川家康の命により、東山の豊国神社境内の土地建物が与えられ、智積院が再興する。その後、三歳で亡くなった秀吉の息子、棄丸(鶴松)の菩提を弔うために建立された祥雲禅寺の土地も与えられ、真言宗智山派総本山として現在に至る。
    明治15年に火事で焼失したが、現在の金堂は昭和50年(1975年)に再建された。弘法大師の生誕1200年記念事業の一環として。


    明王殿。近畿三十六不動尊の札所本尊である、不動明王が納められている。堂宇自体は、昭和22年(1947)の火災により旧本堂(方丈殿)が焼失した際に、京都四条寺町にある大雲院の本堂の譲渡、移築した。最初は現在の講堂の場所にあったが、講堂が再建されることで、1990年に今の場所に移築された。


    山門やら境内やら。前述した講堂の画像がないのは、有料だったから(爆)。だから他の堂宇も見ていない。