醍醐味は味わっていないが、お不動さんは満願する。

  • 醍醐寺:神仏霊場巡拝の道・第百二十六番(京都四十六番)札所で、近畿三十六不動尊霊場・第二十三番札所で、西国薬師四十九霊場・第三十九番札所。西国三十三箇所・第十一番札所のほうが有名だろうが、それは准邸堂が再建されてからにしようと思って、あえてご朱印を押してもらわないことにしたのだが…。
    山号は「醍醐山(深雪山とも)」で、本尊は上の画像にある金堂に納められている薬師如来。開基は聖宝理源大師(とオフィシャルサイト)が貞観16年(874)に、現在の上醍醐の醍醐水が沸いている近くに庵を建てして、准胝、如意輪の両観音像を安置したことに始まる。
    当時は今の上醍醐…その前に上醍醐の説明しておくか。この寺がある醍醐山の山頂にある伽藍で、ふもとから登るのに1時間ほどかかる。ちなみに俺はまだ登ったことがない(爆)!…話を戻そう。当時は上醍醐に建てられていたけど、醍醐天皇の勅願で延喜7年(907年)頃に薬師堂が建てられたのを皮切りに、手厚い庇護を掛けてもらうようになった。そして、麓には下醍醐も出来て、広大な伽藍を築くようになったのだ。
    しかし、応仁の乱など度重なる戦災で、下醍醐のほうは、一時は五重塔しか残らないほどの荒れ寺になってしまう。今の堂宇が築かれるようになったのは、安土桃山時代のこと。義演准后に当時帰依してた豊臣秀吉のバックアップの下に、中興され、豊臣秀吉が最晩年にここでwikipedia:醍醐の花見を行った事でも知られている。

    前述したように、上醍醐はまだ登っていない。本来なら、上醍醐にある准邸堂まで行くべきだが、その准邸堂が2008年8月24日に落雷による火災で焼失してしまったのだ。現在は再建工事が行われていて、落慶したあかつきに行こうかと思っていたが、え、めどが立ってない…!?ははは…素直に押してもらったよかったかしら…西国三十三箇所ご朱印帳持ってきてねぇし。

    まぁ、下醍醐は有料の三宝院と霊宝館以外は見てきたので、それでよしとしよう。


    駐車場からテケテケ歩く道すがら、カメラに収めた。看板見ただけでも、その広さがわかるだろう。


    霊宝館。有料だから玄関だけ。


    三宝院。ここも有料。実は初めてここに来たときにここ見に行ったのだ。池の整備やらで、水がなかったのですが(爆)。


    西大門。


    清龍宮。赤いのが本殿で、茶色いのが拝殿。サイトによると、醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社で、上醍醐にある准胝観音如意輪観音の分身も祀っている。いろんなところに分身があるのだのぉ。


    清龍宮本殿の左右にある末社


    五重塔。サイトによると、醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成した、と。幾度かの修復こそあったが、下醍醐が出来てから唯一残っている建物である。


    下醍醐の奥まで行って見るとある弁天堂。昭和5年に建てられたと。近くには茶屋と庭園があるぞ。行ってないけど。


    伝法院大講堂。阿弥陀如来を納める。


    伝法院大講堂の近くにあった、鐘楼や門。


    祖師堂。弘法大師と理源大師を納める。弘法大師は理源大師の師なのだ。


    真如三昧耶堂に向かう途中にあった、役行者像。


    真如三昧耶堂平安時代〜戦国時代の頃に建てられてた法華三昧堂を、平成9年(1997)に真如三昧耶堂として建立した。


    不動堂。五大尊を納めている。不動明王軍荼利明王降三世明王金剛夜叉明王大威徳明王、だ。


    本堂近くの鐘楼。


    西大門を出て、北に向かう道を歩くとあるのが理性院という塔頭寺院。地蔵がよーけあった。建物内は非公開だと。


    理性院の向かいにある長尾天満宮菅原道真の衣裳塚がこの神社にある。


    塔頭寺院の報恩院。ここで丁度護摩行が行われてて、もちろん参加しましたよ。


岩屋寺
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  • 岩屋寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:岩屋寺 (京都市)近畿三十六不動オフィシャルサイト参照):近畿三十六不動尊霊場・第二十四番札所。山号を含めた正式名称は「神遊山金地院(しんゆうざんこんちいん)岩屋寺(いわやじ)」本尊はもちろん、不動明王三井寺を中興した智証大師円珍作と伝えられる。
    平安時代に創建されたが、織田信長に焼き討ちされた過去を持つ。忠臣蔵ファンならご存知だろうが、浅野内匠頭切腹して赤穂藩が城を明け渡してから、仇討ちのために江戸へ行くまでの間、大石内蔵助がこの寺の近所に隠棲していたことでも有名なのだ。
    それゆえに大石寺という別名もあり、赤穂浪士の位牌や遺品が納められたり、

    大石内蔵助の髪塚もある。本尊の不動明王秘仏だが、討ち入りの日である12月14日から約1ヶ月間、ご開帳されている。
    実は、本堂撮り忘れたのだ。上の画像は、クリエイティヴ・コモンズから探してきたものである。


    稲荷神社。


    正体不明の建物。


    岩屋寺の歴史が書かれた看板。


    山門へ続く階段。


    手水場。


    弁才天大石内蔵助自らが彫った、弁才天像が祀られていると言う。
    はい、このお寺で、近畿三十六不動尊霊場、満願いたしました!おめでとう!
    ご朱印押してくれたおばさまが「こんなちっさい寺で満願してくれるなんて!」と驚いてた。満願記念に、陶器の野付くれた。「あと2回満願してよ。」へ?「今回は過去…あなたのご先祖様をお不動さんが守ってくれるの。次は現在であなた自身。3回目は未来。」「36かける3で108回。煩悩とかけてますな。」「そうそう。」…だからなんだってんだ…。ま、気が向いたらやるかな。

  • 法界寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:法界寺参照)):西国薬師四十九霊場・第三十八番札所。山号は東光山で本尊は薬師如来
    もとより、この寺のある場所は藤原家の一族である日野家の土地だった。その日野家の出自で、出家した日野資業(すけなり)が、日野家に代々伝わる最澄作の薬師如来像を資業自らが彫った薬師如来像の胎内に収めた。そして薬師堂を建ててそこに収めたのが始まりである。平安時代後期、永承6年(1051年)のこと。ちなみに、日野家の氏寺でもある。
    あと、親鸞がこの寺で生誕したことでも知られている。承安3年(1173年)に父・日野有範、母・吉光女(きっこうにょ 源義家の孫娘と伝えられる)の子として9歳で得度するまでこの寺にいたという。


    本堂にある薬師如来は「乳薬師」という別名もあって、安産や授乳(お乳の出が良くなりますように、てか)、子授かりにご利益があるんだと、本堂の中に入ると、かくのごとくよだれかけで埋め尽くされているのだ。おかげで、中の仏像が全然見えない!あ、秘仏だから、お前立ち像か。


    阿弥陀堂。なんと国宝である。本堂も重文だが、それさしおいて。ここの阿弥陀如来はでかいぞ。平等院鳳凰堂阿弥陀如来のデザイン(定朝(じょうちょう)型という平安時代の流行りだった)に則した物で、かつては同じ大きさの阿弥陀如来像が5体以上あったという。


    門です。参道です。


    弁才天