滋賀

  • 建部大社:神仏霊場巡拝の道・第百四十五番(滋賀十三番)札所。主祭神日本武尊(やまとたけるのみこと)。相殿神天明玉命(三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作った神)。権殿神に大己貴命を祀る。

    社伝では、景行天皇46年(116年)、神勅により日本武尊の妃だった布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が、息子の稲依別命(いなよりわけのみこと)と共に、当時住んでいた神崎郡建部郷千草岳(現在の東近江市にある箕作山あたり)に日本武尊を祀ったのが始まりといわれている。その後天武天皇白鳳4年(675年)に現在の地に移った。 ちなみに、元々祀られていた箕作山(みつくりやま)にも、現在は建部神社として地元の鎮守として祀られている。参考リンクはこちら

    あと、1159年の平治の乱で平家に敗れ、伊豆に流されることになった源頼朝が、伊豆への道中、ここで源氏の再興を祈念したと言われている。その後のことは皆さんもご存知の通りですな。ちなみに、1185年に天下を取った後(現在は、鎌倉幕府が開かれたのは1185年と教えているのだと。)、1190年に再びこの社に訪れて、数多くの宝物を奉納したそうです。


    二之鳥居。


    神門と手水場。


    三本杉。「孝徳天皇の御代天平勝宝7年(755年)大己貴命を権殿へと奉祀された際、一夜にして成長したと伝わる御神木の三本杉。」と、オフィシャルサイトで言っているが、ようするに、ご神木だ。


    桧山神社遥拝所。この近くに神社の近くに御旅山てのがあって、そこにある神社の遥拝所を平成七年四月に建てた、と。祀られているのは、伊邪那美命大山祇命息長足姫命、武内宿祢大臣、住吉大神で、さらに元熊野神社、山神社(7ヶ所)、鞭指神社の御祭神を合祀して桧山神社と改称されたのだと。


    大野神社。草野姫命(かやのひめのみこと)を祀る。建部大社がこの地に移る前に建てられてい地主社である。


    武富稲荷神社。稲倉魂命を祀る。


    八柱神社


    絵馬舎と、その下にあった祠。


    宝物殿。拝観は、アポなしでは見られないという。


    箭取(やとり)神社。石占横立、尾張田子之稲置、乳近之稲置を祀る。日本武尊の遠征に付いていった家臣達である。


    弓取神社。弟彦公を祀る。おなじく、日本武尊の遠征に付いていった家臣である。



    摂社・若宮神社日本武尊の息子、建部稲依別命を祀る。この地に移ってから、建部(たけるべ)氏がこの神社を管理するようになり、そこから建部神社の由来になったという。


    摂社・藤宮神社。日本武尊の妃、布多遅比売命(ふたじひめのみこと)を祀る。


    本殿の隣りに作で囲まれた灯篭があった。こう見えて重要文化財だったりする。オフィシャルサイトによれば、文永七年(1270年)に彫られた、滋賀県内では最も古い灯篭である、と。


    日本武尊と、建部大社が紙幣に描かれたことがあった。昭和20年8月からわずか7ヶ月間しか発行されなかった、日本発の千円札。当時の1000円は今の値段で換算すると、約20万円。こんな高額なもん、一般にほとんど流通しなかった。詳細はwikipedia:千円紙幣を参照。



    摂社・聖宮神社。日本武尊の父、景行天皇(けいこうてんのう)を祀る。


    摂社・大政所神社。景行天皇の皇后、播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)命を祀る。


    行事神社。吉備臣武彦と大伴連武日を祀る。これまた日本武尊の家臣。


    蔵人頭神社。七掬脛命を祀る。日本武尊の飯を作っていたという。


  • 石山寺西国三十三箇所・第十三番札所。神仏霊場巡拝の道・第百四十六番(滋賀十四番)札所でもあるが、そちらは既にゲット済み。本尊は如意輪観音で、山号は石光山。

    寺伝によると、天平19年(747年)、聖武天皇の勅願により、良弁(ろうべん)僧正が当寺に聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。あり?どっかで聞いた事あるような…。六角堂だ。いったいいくつ持ってたんだよ!ってツッコミそうだが、まぁ、伝承なんてそんなもんである。その後、天平宝字5年(761年)造東大寺司の一部造石山院所により伽藍が整備拡張された。

    現在の本堂が出来たのが、永長元年(1096年)。その後、源頼朝の寄進により東大門、多宝塔が建てられ、さらに、慶長7年(1602年)に、淀君の寄進で本堂の更なる整備が進められ、現在の伽藍に整った。

    有名どころでは、紫式部がこの寺で源氏物語の構想を練ったとされていて、本堂には「紫式部の間」てのがある。


    東大門。源頼朝が寄進し、慶長年間に修復された。


    入り口。ここから有料だぞ。んで、手水場。


    那須与市地蔵尊と書かれたお堂。


    本堂へ向かう階段の半ばにあるお社。何を祀っているのかは調べたがわからない。


    観音堂西国三十三箇所の観音像が納められているぞ。


    毘沙門堂


    御影堂。重要文化財だぞ。

    御影堂の向かいにある宝篋印塔。四国八十八箇所のお砂踏みが出来るど。


    蓮如堂。元々は三十八所権現社の拝殿だったが、明治時代に蓮如上人を祀るようになり、蓮如堂となったという。


    で、こちらが三十八所権現社本殿。


    経蔵と鐘楼。


    多宝塔。源頼朝の寄進で建久5 (1194) 年に建立された日本最古のものだという。本堂と並び、国宝ですぞ!


    若宮。天照大神弘文天皇を祀っている。


    心経堂。花山法皇の写経を納めるために平成2年に落慶したという。これより上にもいくつか建物があったが、寺の歴史をあまり関係のない(最近建てられた)建物ばかりだったので、撮らなかった。


    八大竜王社。


    大黒天堂。

  • 岩間寺西国三十三箇所・第十二番札所。「岩間山正法寺」が正式名称。本尊は千手観音。元正天皇の念持仏で、毎夜日没とともに厨子を抜け出て百三十六地獄を駆け巡り、日の出頃には汗びっしょりになって戻ってくるので、汗かき観音さんと呼ばれている。

    歴史等を書く前に、言って置きたい事がある。駐車場降りたら、いかにも電波ゆんゆんな、黄色い看板がところかまわず立てられている。詳細はここでは書かないが(「岩間寺 トラブル」でググッたらすぐわかる。)、現在、檀家と今の住職との間でトラブっていて、裁判沙汰になっている。件の黄色い看板はその檀家とは関係ないそうだが、滋賀の表記が

    かくのごとくなっている時点で「あぁ、こいつは頭おかしい。」と判断したので、スルーした。でも多くの人は、せっかくお参りに来たのに、しかも西国三十三箇所の札所なのに、不快なものを見せ付けられたと感じるだろう。今はただ、解決を待ち、仏に接することだけ考えるとする。長らく更新が滞ったのは、この辺をあまり書きたくなかったからなんだよなぁ…。

    気持ち切り替えて、歴史に移る。養老六年(722年)、泰澄大師が元正天皇の病を法力により治した褒美として建立したことに始まる。養老六年元正天皇の病気平癒祈願を成満した泰澄は、同年、岩間山を訪れた折に、桂の大樹より千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻み、元正天皇の御念持仏をその胎内に納め祀りご本尊とした、と。

    その後、真言宗醍醐派になり、今に至るのだが…それからは…「岩間寺 トラブル」でググろう


    鐘楼。ゴーンと撞いてはいけない。


    白姫龍神社。


    岩間寺には、山門がない。


    伽藍。


    大師堂。開山した泰澄大師と弘法大師を祀っている。


    稲妻龍王


    不動堂。平成5年(1993年)に建て替えられたという。


    五社権現堂。平成6年に建てられた。熊野権現などのいろんな本地仏を祀ってる。


    手水場。



    護法龍王拝殿。鎮守社かしら。九頭龍龍王、白龍龍王、七面弁才天を祀っている。


    八大龍王社。難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、紗伽羅(しゃから)、和脩吉(わしゅうきつ)、徳叉伽(とくしゃか)、阿那婆達多(あなばだった)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはつら)を祀る。


    本堂の隣にある、観音堂。三十三箇所の観音が祀ってある。