雨の日にいくもんでない。



仁和寺:神仏霊場巡拝の道・第九十二番(京都十二番)札所ならびに、近畿三十六不動尊霊場・第十四番札所。上の画像が金堂で、下が札所本尊の水掛不動が納められた水掛不動堂。
山号は大内山で、本尊は阿弥陀如来
宇多天皇が開いた寺から「御室御所」と呼ばれ、大覚寺同様、皇族や貴族が住職を勤めた門跡寺院だった。ここも世界遺産になるほどに有名な寺であるが、雨だったこともあり(しかも相当に激しかったことが画像からも覗えるだろう)、主だったところしかまわっていない。何で雨の日にまわろうと思ったか。


駐車場前の東門。



雨宿りがてらに先に見た御殿。かつては宇多天皇が住んでいた御所が建っていた。仁和寺の伽藍は応仁の乱で全焼、後に徳川幕府が整備したものである。


中門と、中門から望んだ仁王門。
…撮ったのはこれだけだ…次回行く際は、全ての堂宇撮ってやる…。



蓮華寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:蓮華寺 (京都市右京区)参照。):近畿三十六不動尊霊場・第十五番札所。山号は五智山で、本尊は阿弥陀如来
1057年に後冷泉天皇の勅願で、藤原康基が開基した。応仁の乱以降荒廃したが、1641年に常信という僧(元は江戸の豪商だった)が再興。当時の仁和寺の僧正であった宮覚深法親王後水尾天皇の兄)に五智山の山号を賜った…とパンフレットには書かれている。
応仁の乱以降は鳴滝音戸山にあったが、現在の場所(仁和寺の隣にある)に移ったのが昭和3年である。


こじんまりした伽藍に似合わない、なかなかにいかつい石仏が鎮座していた。再興の際に木喰僧(穀物を食べないお坊さん)である坦弥上人に彫らせた五智如来で、右から、薬師如来宝生如来大日如来阿弥陀如来、釈迦如来となっている。うん?なんで薬師如来と釈迦如来五智如来に入ってんだ?どうも、阿閦如来薬師如来不空成就如来と釈迦如来は同一視されていたようで。ややこしい。


これらの石仏はこの地に移る前に鳴滝音戸山に点在していて、損傷も激しかったが、昭和33年にここにまとめて移転、修復されて現在に至っている。