北野天満宮→平野神社→金閣寺


  • 北野天満宮:神仏霊場巡拝の道・第九十五番(京都十五番)札所。菅原道真主祭神とし、相殿に中将殿(道真の長子・高視)と吉祥女(道真の正室)を祀る。
    947年、朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。後に藤原師輔(ふじわらのもろすけ)によって壮大な社殿に作り直された。
    987年に一条天皇より勅使が遣わされて、「北野天満宮天神」の称が贈られた。
    現在の本殿は1607年に豊臣秀頼が建てた。この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存している。


    楼門と、その前にある、末社・伴氏社(ともうじしゃ)。菅原道真の母君を祀っている


    楼門を過ぎた後にある手水場。


    左が摂社・福部社。十川能福(そごうのうふく)という道真に仕えていた舎人(牛の世話人)を祀る。右が摂社・老松社。島田忠臣(しまだただおさ)という家臣を祀っている。道真が彼に松の種を託し、この地に植えたところ、道真の霊が光臨し一夜で松が生えたという伝説がある。


    左が摂社・火之御子社(ひのみこしゃ)。火雷神(からいしん)を祀る。北野天満宮が出来る前から祀られている神で、880年に太政大臣藤原基経が祭りを行ってからは、朝廷のお墨付きという形で毎年例祭が行われているという。右が摂社・白太夫社。渡会晴彦という、道真を生涯にわたって忠義を尽くした守役を祀る。若くして白髪だった頃から白太夫と呼ばれていて、天満宮に行けば、必ず彼も祀られている。


    上の摂社を過ぎて、本殿の前にある三光門。
    大阪天満宮もそうだったが、ここも摂末社がものすごく多いのだ。ひととおり回ってきましたよ。


    東門と、その手前にある鳥居。


    末社・竈社。庭津彦神(にわつひこのかみ)、庭津姫神(にわつひめのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)を祀る。


    東門近くの手水場と、境内。手水場には牛が祀られておりますな。


    末社・文子天満宮菅原大神(すがわらのおおかみ)を祀る。北野天満宮ができるきっかけは、多治比文子(たじひのあやこ)という少女に菅原道真の霊が乗り移って、現在の北野天満宮のある場所に祀れと言うお告げがあったと言う。それ以外にも同様の現象が各地で起こったことから、ここに建てられたと言う。


    摂社・地主神社天神地祇(てんじんちぎ)を主祭神に、相殿に敦実親王(あつみしんのう)、斎世親王(ときよしんのう)、源英明朝臣(みなもとのひであきらあそん)を祀る。北野天満宮ができる以前にあった神社。相殿に祭られている三皇子が道真の血縁だったり、この社殿を建てたのが豊臣秀頼だったりと、由緒規模共に天満宮最大の摂社…と看板に書かれている。


    末社・老松社。摂社同様に島田忠臣が祀られている。摂社があるのになんで?おそらく他の天満宮をここに合祀してできたのだろう。


    末社・十二社。祀られているのは以下のとおりだ。左より

末社祭神
崇道天皇社(すどうてんのうしゃ)崇道天皇
吉備大臣社(きびのおおかみしゃ)吉備真備(きびのまきび)
櫻葉社(さくらばしゃ)伊予親王(いよしんのう)
太夫社(しらだゆうしゃ)度会晴彦(わたらいはるひこ)
老松社(おいまつしゃ)島田忠興(しまだただおき)
太宰少貳社(だざいのしょうにしゃ)藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)
淳仁天皇社(じゅんにんてんのうしゃ)淳仁天皇
太夫社(ぶんたゆうしゃ)文屋宮田麿(ぶんやのみやたまろ)
太夫社(とうだゆうしゃ)太夫吉子(とうだゆうきっし)
橘逸勢社(たちばなのはやなりしゃ)橘逸勢(たちばなのはやなり)
大門社(だいもんしゃ)大門内供奉(だいもんないぐぶ)
寛算社(かんざんしゃ)寛算入寺(かんざんにゅうじ)

    • うむ、ほとんど聞いたこともないのばかりだ(爆)。


  • 十二社過ぎて、突き当たりにある末社・八社。祀られているのは左より…

末社祭神
荒神社(こうじんしゃ)火産神(ほむすびのかみ)
興津彦神(おきつひこのかみ)
興津媛神(おきつひめのかみ)
貴布禰社(きぶねしゃ)高龗神(たかおかみ)
今雄社(いまおしゃ)小槻宿祢今雄(こづきのすくねいまお)
早取社(はやとりしゃ)日本武尊(やまとたけるのみこと)
御霊社(みたましゃ)菅公の眷属神(けんぞくしん)の御霊(みたま)
安麻神社(あまじんじゃ)菅原道真公のご息女
高千穂社(ふくべしゃ)瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
福部社(ふくべしゃ)十川能福(そごうのうふく)

    • この辺なら、わかるのも多いな。


  • 右が末社神明社天照大神豊受大神を祀る。伊勢神宮末社ですな。左が末社・文子社。前述した多治比文子(たじひのあやこ)を祀っている他に、相殿に同様に道真の霊が乗り移ってお告げを受けた、神良種(みわのよしたね)、太郎丸(たろうまる)、最鎮(さいちん)の3人が祀られている。この四人によって、北野天満宮が創建されたのだ。


    末社・四社。祀られているのは左より

末社祭神
若松社(わかまつしゃ) 若松章基(わかまつあきもと)
八幡社(はちまんしゃ)誉田別尊(ほんだわけのみこと/応仁天皇
松童社(まつどうしゃ)神太郎丸(かみのたろうまる)
夷社(えびすしゃ)事代主命(ことしろぬしのみこと)


  • 末社・七社。祭られているのは左より

末社祭神
大判事社(だいはんじしゃ)秋篠安人卿(あきしののやすんどきょう)
三位殿社(さんみでんしゃ)菅原在良卿(すがわらのありよしきょう)
和泉殿社(いずみでんしゃ)菅原定義卿(すがわらのさだよしきょう)
宰相殿社(さいしょうでんしゃ)菅原輔正卿(すがわらのすけまさきょう)
周枳社(すきしゃ)天稲倉宇気持命(あめのいなくらうけもちのみこと)
豊宇気能媛(とようけのひめのみこと)
一拳社(ひとこぶししゃ)一言主神(ひとことぬしのかみ)
那伊鎌社(ないかましゃ)建御名方命(たけみなかたのみこと)


  • ここも末社が3つあるんじゃ。左より

末社祭神
野見宿祢神社(のみのすくねじんじゃ)野見宿祢命(のみのすくねのみこと)
一夜松神社(いちやまつじんじゃ)一夜千松の霊
豊国神社(とよくにじんじゃ)豊臣秀吉


  • 末社・一之保神社(いちのほじんじゃ)と、末社・奇御魂神社(くしみたまじんじゃ)。一之保神社は菅原大神(すがわらのおおかみ/菅原道真公)を祀る。道真が大宰府で創った木像を祀った「安楽時天満宮」から遷された。道真公の奇御魂(くしみたま)を祀る。奇御魂とは、不思議な力や奇跡を起こす心霊だという。


    末社・稲荷神社。倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、猿田彦神(さるたひこのかみ)、大宮能売神(おおみやのめのかみ)を祀る。


    末社猿田彦社(さるたひこしゃ)。猿田彦神(さるたひこのかみ)を主祭神に相殿には大宮能売神(おおみやのめのかみ)を祀る。その後ろに隠れているのは、牛社。牛を祀っている。


    末社・宗像社(むなかたしゃ)。田心媛神(たごりひめのかみ)、湍津媛神(たぎつひめのかみ)、市杵島媛神(いちきしまひめのかみ)を祀る。

さすがに、摂末社も回っていたら、2時間近くこの神社にいてしまった。次行って見よう。あ、その前にガソリン入れとこ。


  • 平野神社:神仏霊場巡拝の道・第九十四番(京都十四番)札所。祀られているのは、今木皇大神(いまきのすめのおおかみ)、久度大神(くどのおおかみ)、古開大神(ふるあきのおおかみ)、比売大神(ひめのおおかみ)の四神。
    元は桓武天皇の父・光仁天皇の御所で、794年の平常遷都に併せて、平城京に祀られていた今木皇大神、久度大神、古開大神を鎮座させたのが始まりといわれる。比売大神はそれ以降、承和年間(834年〜848年)に祀られたといわれる
    元より天皇に縁のある神社ゆえ、皇族からの崇敬も篤く、平安時代の例祭には歴代の皇太子がお参りしていたという。さらに、源氏、平氏、大江氏、菅原氏などの公家の氏社にもなったりした。
    それほどまで皇族と深いつながりがあったが、室町時代〜戦国時代の頃には戦火や一揆でたいそう荒廃してしまう。江戸の寛永年間(1624〜1645年)の頃に、平氏嫡流の公卿、西洞院家が伝奏家(天皇に取次言上する役)を勤め、社殿を復興をさせた。


    鳥居。2005年に修復された。


    手水場と、拝殿。慶安三年(1650)東福門院後水尾天皇中宮徳川秀忠の娘)によって建立された。


    猿田彦社。猿のぬいぐるみを奉納すると霊験あらたかなのだと。


    出世導引稲荷神社。後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の命で平野神社を復興させた西洞院時慶卿の神徳拝受以来、出世の霊験ありと言われている。ほー。


    末社四社。左から、春日大神住吉大神蛭子大神、細女大神。


    八幡大神

  • 鹿苑寺:神仏霊場巡拝の道・第九十三番(京都十三番)札所。「ろくおんじ」と読む。山号は「北山(ほくざん)」で、本尊は観音菩薩
    金閣寺」として有名すぎるほどに有名だが、正式名称は今回はじめて知った俺だ!正式名称である鹿苑寺は、相国寺塔頭寺院の一つ(もう一つは東山慈照寺銀閣寺)である)で、実は「金閣」は本堂ではなく、舎利殿なのだ。
    ちなみに、本堂である方丈はこの写真を撮った背中側にある。行ってないけど。とりあえず、金閣見るのとご朱印ゲットが目的だった故。実は実物の金閣見るの生まれて初めてだったりする俺!
    足利義満が建てたというのは知られているけど、さかのぼると、元は鎌倉時代の1224年(元仁元年)に藤原公経(西園寺公経)が建立した西園寺とその別荘である。それから西園寺家が運営していたが、鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇暗殺の容疑で当主が処刑。領地も没収されて、西園寺は荒れ寺になってしまう。
    1397年(応永4年)、足利義満河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、山荘「北山殿」を造った。その際に造られたのが金閣だ。お寺になったのは義満の死後。遺言により、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿」から二字をとって鹿苑寺となった。
    今の金閣は、戦後まもなく放火で全焼し、立て替えられたものだし、金閣の金箔も昭和末期に張り替えられたのも、「プロジェクトX」見た人ならご存知だろう。


    総門と、鐘楼。


    不動堂。天正年間(1573年から1592年)に宇喜多秀家が再建したとされている、金閣寺の中では最も古い建造物。本尊は弘法大師が彫った石不動明王秘仏です。


    不動堂を過ぎてポツンとあった吒枳尼天(だきにてん)が祀られたお社。仏教の神だが、神仏習合でお稲荷さんと習合されていることが多い。

やっと、うpできた。よぉお参りでしたなぁ。