奈良もあと少し。
- 石上神宮(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:石上神宮参照):神仏霊場巡拝の道・第十九番(奈良六番)札所。「いそのかみじんぐう」と読む。祀られているのは以下の通り。
上記3主祭神を石神大神(いそのかみのおおかみ)として宮中に祀られていたが、崇神天皇7年(紀元前91年頃)に物部氏によって現在の地に遷されたといわれる。歴史的には日本最古の神宮である。
もともと本殿はなく、拝殿の後ろに「禁足地」という聖地を設け、そこに神宝を埋めてたという。明治7年(1874年)に発掘が行われ、大正2年(1913年)に本殿が造営された。
鳥居と手水場。
手水場周辺には、鶏が放し飼いされていた。伊勢神宮も鶏がよーけおったなぁ。にわとりがらみで、小学校の音楽の時間にトンビを見て空を飛びたがる鶏の歌を思い出したが、タイトルが出てこない…。3拍子で「♪コッコッコ コッコッコ コケコッコッコー とーんびーもー にーわとりもー おーなじーとーりーさー コケコッコッコー」
楼門。文保2年(1318年)に建立された重要文化財だ。
摂社・出雲武雄神社。三種の神器でおなじみの草薙剣の霊威を賜った神社。
その拝殿。国宝だぞ。この神社の近くに建立されていた内山永久寺の鎮守社の拝殿であった。廃仏毀釈のあおりで廃寺に追い込まれ、この建物だけが大正三年に移築された。
出雲武雄神社右隣りにある末社・猿田彦神社。猿田彦神を祀っとる
摂社・七座社。祀られているのは七神。生産霊神(いくむずびのかみ)、足産霊神(たるむすびのかみ)、魂留産霊神(たまつめむすびのかみ)、大宮能売神(おおみやのめのかみ)、御膳都神(みけつかみ)、辞代主神(ことしろぬしのかみ)、大直日神(おおなおひのかみ)。
摂社天神社。祀られているのは高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と神皇産霊神(かみむすびのかみ)。
神社の道を挟んだ向かいにある末社・神田神社。こうだじんじゃと読む。
- 大和神社:神仏霊場巡拝の道・第二十番(奈良七番)札所。「おおやまとじんじゃ」と読む。祀られているのは
・日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)
※大地主大神(おおとこぬしのかみ)とも呼ばれる。
・八千戈大神(やちほこのおおかみ)
※大国主命とも呼ばれる。
・御年大神(みとしのおおかみ)
日本大国魂大神は元々天照大神と共に宮中に祀っていたが、崇神天皇が神威を畏れて、崇神天皇6年(紀元前92年)頃に皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)を斎王にして、市磯邑(大和郷)に移ったと伝えられる。
一の鳥居。コレを抜けてすぐに駐車場がある。
一の鳥居を抜けてテクテク歩くとある、摂社・増御子神社。猿田彦大神と天細女命(あめのうずめのみこと)を祀る。
二の鳥居。
手水場。この神社の説明が書かれているぞ。柱に描いてある「伊勢は七たび 熊野は三度 大和さんへは月まいり」…どっかできいたことあるような…。
左が末社・厳島神社。右が末社・事代主神社。
末社・祖霊社。歴代の氏子の他、かの戦艦大和が沈んだときの乗組員が英霊として祀られている。大和神社の神々が、戦艦大和の守護神として奉斎されていたという事から。
摂社・高龗神社(たかおおかみじんじゃ)。高龗神(たかおかみのかみ)を祀っている。
摂社・朝日神社。朝日豊明神(天照大神のこと)を祀る。殖産を興し、交易を奨めさせ、桜井・奈良街道を行く方は必ず詣でしと言われるほどの神社である。
- 大神神社:神仏霊場巡拝の道・第二十一番(奈良八番)札所。「おおみわじんじゃ」と読む。祀られているのは、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)。
大己貴神(大国主命ともいう。)がこの三輪山に、自らの幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)を鎮めて、倭大物主櫛甕玉命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと)として祀ったのがはじまり。のちに大物主大神と呼ばれるようになる。
この神社には本殿がない。拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して、三輪山全体が本殿なのだ。それゆえ、境内はむちゃくちゃ広いし、摂末社も多いし、しかも遠い。短時間で巡れっこない!と判断し、拝殿周辺とご朱印が貰えるところだけ参った。次来るときは全部回ったる。
二の鳥居。有名な大鳥居は撮っていないので、wikipediaから貼る。
でまぁ、祓戸社で拝んでから
手水場で手を洗う。祓戸四神が覚えられねぇなぁ…瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)、速秋津姫神(はやあきのひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良姫神(はやさすらのひめのかみ)…「せおりつ はやあき いぶきど はやさすら」で覚えてみるか?
末社・天皇社。崇神天皇を祀る。この神社wおたいそう崇敬していたそうな。
末社・神宝神社(かんだからじんじゃ)。家都御子神(けつみこのかみ)、熊野夫須美神(くまのふすみのかみ)、御子速玉神(みこはやたまのかみ)の三神を祀る。熊野権現ですな。
摂社・磐座神社(いわくらじんじゃ)。大国主命といっしょに国造りを行った少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀る。社の類がなく、玉垣を囲った岩があるだけだが、原始の神道では別段珍しいことでもない。
末社・市杵嶋姫神社。市杵嶋姫命を祀る。弁天さんじゃな。
摂社・狭井神社(さいじんじゃ)。狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおみわあらたまじんじゃ)が正式名称。三輪山に祀られているのは大物主大神の和魂(にぎたま)だが、こちらは荒魂(あらたま)が祀られている。荒魂が災厄をもたらし、和魂がそれを鎮める。同じ神でも表裏一体であるというわけですな。他に祀られているのが、大物主神(おおものぬしのかみ)・媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)・勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)・事代主神(ことしろぬしのかみ)。それと、ここは三輪山へ上る入り口でもある。往復2〜3時間で上る人もみな登山ルックだ。…やってみるか(キラーン)?
その奥にある薬井戸(くすりいど)、高い霊徳が得られるとやらで、酒や薬の材料、書家の墨にまで用いられたという。とりあえず飲む。
末社・久延彦神社(くえひこじんじゃ)。久延毘古命(くえひこのみこと)を祀る。学問と知恵の神様である。
大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)。若宮社とも言われている。建物の造りからして「寺だったのか?」と思ったら、案の定。神仏習合の折には大神寺(おおみわでら)という名で大神神社の神宮寺として栄えたそうな。祀られているのは大直禰子命(おおたたねこのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、活玉依姫命(いくたまよりひめのみこと)。大直禰子命は大物主大神の子孫である。あるときに国内が災厄に見舞われて、当時の天皇(崇神天皇)の枕元に大物主大神が現れて、茅渟県陶邑(ちぬのあがたのすえむら:現在の堺市)にいた大直禰子を大神神社の神主にしたところ、たちまち災厄は治まったという。
若宮社の境内にある御誕生所社(左)と琴平社(右)。
えぇと、なんだたっけ…?あぁ、なんかの地蔵院だった。神社とは関係なさそうw。
- 安倍文殊院:神仏霊場巡拝の道・第三十四番(奈良二十一番)札所。山号は安部山、本尊は文字通り文殊菩薩。なんでも日本三大文殊菩薩の一つ出そうな。もうひとつは京都は天橋立・智恩寺の切戸文殊、あと一つは諸説バラバラだが、この寺院では山形県高畠町・大聖寺の亀岡文殊としている。
安倍と名が付くように、ここは安倍氏の氏寺として大化の改新と同じ年(645年)に安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が建立した。
当時は崇敬寺と呼ばれて、今とは違う場所にあったが、鎌倉時代に焼失して今の場所に移った。しかしそのときの伽藍も戦国時代に烏有に帰し、今の本堂になったのが1665年である。
住職?らしき人の法話が面白かったなぁ。風水はよくわからんが寝室の上に風呂や便所はまずいだろうなぁ。厄除けのお札は天理からも買いに来る人がいるという。天理教の信者ですら!えぇー!あと、文殊菩薩を照らしている光はLEDなんだって。昔は真っ暗だったって。どうでもいいネタですね。ハイ。
ちなみに、本堂の拝観は有料だけど、抹茶と落雁がふるまわれる。
山門。下馬と書かれた石碑がやけに迫力がある。オフィシャルサイトによると、この門は開山以来一度も閉めたことがないという。その証拠に、門扉が…ない。
手水場。
稲荷社。陰陽師で有名な安倍晴明がここで産まれて、修行したといわれている。その母親であると伝承される「信太森葛葉稲荷(しんだもりくずはいなり)」を祀っている…とのこと。
仲麻呂堂。金閣浮御堂ともいう。安倍一族を祀るために、昭和60年に建てられた。新しいな、おい。池の真ん中にあるだけあって、他にも弁財天などを祀っている。
不動堂。隣にあるのは、コスモスで作られた迷路。秋の名物らしい。
白山堂。室町時代から残っている、この寺では一番古い建物だ。石川県の白山神社の末社。祀られているのは白山比竎神(しらやまひめのおおかみ)。菊理媛神(くくりひめのかみ)とも呼ばれ、イザナギとイザナミの縁を結んだことから、縁結びの神様として有名だと。
晴明堂。安倍晴明を祀ったお堂は昔はあったそうだが、2000年に安倍晴明千回忌にあたって、再び建立された。