なんかすごく久しぶり。

ご朱印集めをサボっていた。久しぶりにやってみますか。

  • 赤山禅院:神仏霊場巡拝の道・第百七番(京都二十七番)札所。「せきさんぜんいん」と読む。本尊は赤山大明神
    オフィシャルサイトによると、「唐の赤山にあった泰山府君を勧請したものです。泰山府君は、中国五岳(五名山)の中でも筆頭とされる東岳・泰山(とうがく・たいざん)の神であり、日本では、陰陽道の祖神(おやがみ)になりました。」だと。
    開基は仁和4年(888年)。第三世天台座主円仁の遺命によって、第四世天台座主 安慧(あんね)が創建した、天台宗総本山延暦寺塔頭のひとつ。
    皇族が住んでいた宮殿(今の京都御所だわな。)からみて鬼門の方角にあったことから、皇族からの篤い信仰をうけていたり、また比叡山延暦寺の修行でもっとも厳しい「千日回峰行」の後半の拠点にもなっている寺で有名だ。


    山門やら手水場やら。


    地蔵堂


    弁天堂。


    三十三観音十六羅漢の石像。


    稲荷社。その隣りにも稲荷の祠が。



    福禄寿堂。ここで御朱印が得られるぞ。


    左が金神社。右が十禅師権現・住吉大明神・新羅大明神・賀茂大明神・平野大明神・西宮大明神・松尾大明神を祀る末社新羅大明神は延長二年に園城寺から勧請された古社なのだと。


    右が金神社、左が八幡大菩薩・天照皇大宮・春日大明神を祀る末社


    歓喜天社。


    相生社。縁結びの神。


    薬師。その奥にあるのは、心身を清める御滝堂。


    雲母不動堂。かつて比叡山延暦寺とこの赤山禅院の間にあった、雲母寺(きららでら)の本堂と本尊をここに移した。



  • 曼殊院:神仏霊場巡拝の道・第百八番(京都二十八番)札所ならびに近畿三十六不動尊霊場・第十七番札所。
    延暦年間(728〜)に最澄比叡山に開いた道場が始まりと言われる。天暦年間(947〜)に是算(ぜさん)という僧が、比叡山にある西塔北谷に移し、そこで東尾坊(とうびぼう)と称したのが曼殊院の開基である。
    是算が菅原家の出生であったことから、同年に北野天満宮が造営された時に、初代別当職にも補され、以後明治維新まで曼殊院の住職が北野別当職を兼任することになる。
    寺号を「曼殊院」と改めたのは天仁年間(1108〜10)、八代目住職忠尋のころ。北野天満宮の近くに別院を建立したのち、明暦二年(1656)に二十九代目住職の良尚が、現在の地に堂宇を造営した。
    門跡寺院は、堂宇が渡り廊下なりで繋がっているので、外から堂宇を撮ることが難しいのじゃ。しかも中は基本的に撮影禁止なので、上の2枚だけでご勘弁。
    あ、そうだ。オフィシャルサイトには書かれてないけど、ここは幽霊が描かれた掛け軸でも有名なんだ。ご丁寧に「撮影厳禁 不幸に見舞われるかもしれません」などという貼り紙まである。ガン見したら、祟られそうな位シャレにならない雰囲気を醸し出していた。



  • 慈照寺:神仏霊場巡拝の道・第百九番(京都二十九番)札所。
    銀閣寺の正式名称は「東山慈照寺」で、相国寺塔頭寺院の一つ。山号は東山(とうざん)で、本尊は方丈(本堂)にある釈迦如来。俺が行ったときはちょうどご開帳だったようだが、有料だったのでやめた(おいおい)。
    元は足利義政が造営した東山山荘(東山殿)で、義政の死後に寺と称することとなったのだ。ちなみに銀閣観音堂である。
    鹿苑寺金閣寺)同様、観光資源としての色合いが強い。外人さんもいっぱいおったし。


    山門。


    庫裡。


    右が銀沙灘、左が向月台。なんだかよくわからんが、ここ見たら、実は緻密な計算によってなされた庭園なのだな。


    八幡社。銀閣寺の鎮守社である。



    方丈。本堂である。江戸時代に建てられた。


    東求堂。銀閣寺建立から残っているのはこれと銀閣だけである。


    テキトーに撮った境内。

そんなところです、ハイ。タダの作業にならないようにな。