三井寺!


  • 三井寺:神仏霊場巡拝の道百四十七番(滋賀十五番)札所、ならびに西国三十三箇所・第十四番札所。山号も含めた正式名称は「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」で、本尊は上画像の金堂に納められた弥勒菩薩である。
    飛鳥時代壬申の乱で敗れて自害した、大友皇子の皇子の大友与多王が父の霊を弔うために 自らの荘園「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、壬申の乱の勝者、天武天皇天智天皇中大兄皇子として大化の改心をやった天皇な…の弟)から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まり。
    三井寺と呼ばれるようになったのは、この寺には天智・天武・持統天皇が産湯に用いた霊泉があり、「御井の寺」と呼ばれてたことから来ている。
    近畿三十六不動の絡みで知ったが、三井寺は三大不動の一つ「黄不動」でも有名だが、基本的に秘仏なので一般公開はされていない。


    仁王門。


    食堂(じきどう)。釈迦堂とも呼ばれる。


    その食堂の近くにある弁才天社。


    金堂までの参道と、手水場。


    教待堂。三井寺を中興した智証大師円珍が入山するまでいた教待和尚を祀っている。詳しくはこちら参照。


    金堂の裏手にある熊野権現社。


    鐘楼。吊られてる梵鐘は「三井の鐘」と呼ばれている。この鐘は「引き摺りの鐘」のレプリカントである。「引き摺りの鐘」には、弁慶が奪って比叡山まで引き摺りあげたが、鐘が帰りたいといったので怒った弁慶が谷底に落としたという伝説がある。


    毘沙門堂


    十八明神社。ねずみの宮とも呼ばれている。詳しくはこちら参照。


    観音堂西国三十三箇所の札所本尊である如意輪観音が納められてる。


    百体観音堂坂東三十三箇所秩父三十四箇所の観音が納められている。いつかはやりたいねぇ。百観音満願。


    観音堂内にある鐘楼。


    水観寺。西国薬師四十九霊場・第四十八番札所。園城寺五別所の一つ。調べたら、五別所とは、常在寺、水観寺、尾蔵寺、微妙寺、近松寺。水観寺と微妙寺は三井寺境内にあるが、常在寺と尾蔵寺は廃寺になってしまった(本尊は微妙寺にある)。近松寺は高観音近松寺として、三井寺の近くに現存する。


えー、三井寺には他にも数え切れないほどのお堂がございます。

何度もいくだろうから、ぼちぼち他のお堂もせめて行きますが。



  • 圓満院:近畿三十六不動尊霊場・第二十六番札所。山号は、ない。本尊は金色不動明王三井寺の目と鼻の先にある。
    ネットで見たら、オフィシャルやwikipediaやら歴史がごっちゃになっているけど、整理してみる。
    村上天皇の代三皇子悟円(ごえん)法親王が開基とされているが、実際にこの地に寺を建てたのは、園城寺の僧明尊である。1040年に、元々は明尊の住房だったのを天皇御願の堂となし、後朱雀天皇の支援を受けて円満院と号した、と。
    その後、平安時代村上天皇の代三皇子悟円(ごえん)法親王によって三井寺内に建てられていた平等院と相承(権利関係を譲り受けたようなもんかな)し、門跡寺院となった…ということか?
    じゃぁ、明尊が開基じゃん、てなるんだがなぁ…なんか、平等院サイドが圓満院乗っ取ったとも捉えることもできるが…?よーわからん。
    それから平等院とも呼ばれていたりもしたのだが、平等院の号は宇治に建立する際に譲り、現在は圓満院のみ称することになった。


    門跡寺院だから、宸殿もある。中は観てませんが(おいおい)。


  • 葛川息障明王院(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:明王院_(大津市)と、近畿三十六不動オフィシャルサイトを参照。):近畿三十六不動尊霊場・第二十七番札所。山号を含めた正式名称は、「安曇山葛川息障明王院(あどさんかつらかわそくしょうみょうおういん)」。本尊は千手観音。鯖街道沿いにあって、非常に静かな寺である。
    開基は相応和尚(そうおうかしょう)。比叡山と非常に縁のある僧で、無動寺明王院の開基で、比叡山修行ではもっともハードと言われる千日回峰行創始者である。
    さらに、最澄伝教大師、円仁に慈覚大師という諡号(亡くなった時に贈られる称号みたいなもん。wikipedia:諡号参照)を賜るように、天皇にはたらきかけた…これを奏請したという…僧でもある。
    他にも、オカルトめいた伝説があるけど、それはwikipedia:相応 (僧)見てくれい。

    さて、寺の歴史に触れよう。比叡山で、現在は無動寺明王院のある場所に庵を構え修行に励んでいた相応が、葛川に降りて、三の滝において7日間の断食修行を行った。最終日に三の滝で不動明王を感得(仏などの超人間的なものの存在を感じ取ること)する。感動した相応は思わず滝つぼに飛び込み不動明王に抱きついたと言う。しかし抱きついたのは、桂の丸太だった…。
    相応は、その桂の丸太から3体の不動明王像を彫り刻んで、そのうちの一つを葛川に納めたのがこの寺の始まりなのだ。残りの2体はというと、一つは無動寺明王院、もうひとつは伊崎寺にある。
    平成17年から平成の大修理が行われていて、平成23年5月18日に落慶法要が営まれたと言う。古い木材と新しい木材とがあからさまに違うのだが、何年かすればいい感じになるのかしら。ちなみに、補修工事前の画像もググればあるが…ぶっちゃけ、ボロッボロでした…。


    護摩


    本堂の隣にあったお社。何を祀っているのか、見てなかった。

ご朱印をいただき、ついでにこの冊子も手に入れた。

近畿三十六不動尊巡礼

近畿三十六不動尊巡礼

もうすぐ満願になるので、おさらいも兼ねて、な。近畿三十六不動尊霊場醍醐寺岩屋寺で満願だ。