気づいたら、京都もだいぶこなせてた。
- 頂法寺六角堂:西国三十三箇所・第十八番札所。山号を含めた正式名称は「紫雲山 頂法寺」だが、オフィシャルサイトを見ての通り、本堂が六角形の形をしているので、六角堂と呼ばれている。本尊は如意輪観音。秘仏なんだが、前回行ったときはご開帳(なんと136年ぶりだったという!)していたので見たことがあるぞ。
歴史をば。この寺は聖徳太子が建立したと伝えられている。反仏教派だった物部守屋を倒し、仏教を広める足がかりとして、四天王寺(ちなみに、日本で一番最初に立てられた仏教寺院である)を建てることにした聖徳太子。その建材を探すべく京にやってきた。
で、六角堂となる場所の近くの池で沐浴をしてたら、幼少の砌、淡路島で拾い、以来太子がお守りとして持っていた如意輪観音像が急に重たくなった。その夜、夢枕に如意輪観音が現れ、この地にとどまって、衆生の救済をしたいと告げた。
それを聞いた太子は早速この地に寺を建立することにあいなり、池の近くにあった、毎朝紫の雲がたなびく杉の大木を伐ってそれで六角形のお堂を建て、現在の本尊である如意輪観音像を納めた…という言い伝えがある。
本堂の外れにある鐘楼。
山門の向かい。あり?ここ、前駐車場だったよな?まぁ、駐車場は近くにいくつかコインパーキングがあるので問題ないが。
山門。最近は千社札貼ったらダメなところが多くなったよねぇ。
門は行ってすぐにあるでっかい柳の木。縁結びのパワースポットだの何だの。ちなみに、枝に猫はいなかったw。
手水場。
親鸞堂。親鸞がこの寺で100日間修行して、夢枕で4つの偈文(げもん)を授かり、浄土真宗を開くきっかけになったという。
祇園社・唐嵜社・天満宮。唐嵜社ってなんだろ?調べたら、前述したように、聖徳太子がこの地に六角堂を建立する際に、紫の雲がたなびく大杉を使ったのだが、それを使うように勧めたのが、老翁に成り代わった地主の神。
「この地の側にある禿杉という毎朝紫雲たなびく大木を使い、堂をこの地に建立すれば、私が後々まで守ってやろう。」と言い終わると、明神天子菩薩となった。太子は六角堂を建立した後、自ら明神天子菩薩の御神体を作り、堂の東方に一社を設けて、鎮守守護神・唐崎大明神として祀るようになった、と。
日影稲荷社。
太子堂。この近くの池が、太子が沐浴したとされる池の跡地である。そのほとりに小野妹子の子孫とされる僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになった。池坊の僧は、朝夕宝前に花を供えてきて、いつしか生け花の元祖となったわけ。
石不動。
石不動の隣にある不動明王像。
- 行願寺革堂(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:行願寺参照):西国三十三箇所・第十九番札所。神仏霊場巡拝の道・第百十四番(京都三十四番)札所でもあるが、それはゲット済み。山号を含めた正式名称は「霊麀山(れいゆうざん)行願寺」だが、革堂と呼ばれている。革堂の本尊である千手観音は、この寺の開基である行円が賀茂神社から槻木(つきのき)をもらって自ら刻んだものである。
行円は元々猟師で、身重の鹿を射止めてしまったことを後悔し、出家した。そして常に射止めた鹿の革を纏ってたと言われている。それゆえに行円は革聖(かわひじり)とも皮仙とも称されていた。その行円によって、寛弘元年(1004年)、一条小川(現在の上京区革堂町あたり)に建立された。
それから、豊臣秀吉によって、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区、京都御苑東側)に移転。宝永5年(1708年)の大火の後、現在の場所に移り、現在の本堂は文化12年(1815年)に建てられた。
山門。
延命地蔵菩薩像と天道大日如来像が納められたお堂。
手水場。
寺守社と書かれたお社。何祀っているのかはわからん。
愛染堂。
寿老人堂。安土桃山時代に建てられた、この寺では最も古い建造物。都七福神巡りの札所でもある。
鎮宅霊符神堂。
庫裡。
鐘楼。1804年に建てられた。
地蔵堂2棟。町内会が寄進したみたい。
百体地蔵尊。
左が弁天社?で、右が加茂大明神。行円が賀茂神社から槻木をもらったお礼に、この石塔を建てたと言う。もう一つの画像は加茂大明神の中に祀られている不動明王。
さぁ、どんどん参りましょう。
あ、そだ。ついでに革堂の近くにある、下御霊神社にも参ったのだ。やけに壁やお社がボロッボロの神社だなぁと思ったが、最近、少しづつ改修工事がなされているようだ。あのボロさがいいとか言う人もいるという。冤罪で亡くなった人を祀っているせいだろうか。俺はきちんと整備されているお堂やお社のほうが良いなぁ。カネの匂いがプンプンしない程度に。
- 賀茂御祖神社:神仏霊場巡拝の道・第百一番(京都二十一番)札所。下鴨神社の正式名称で「かもみおやじんじゃ」と読む。
玉依姫命(たまよりひめのみこと)と、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀る。玉依姫命は、上賀茂神社に祀られている賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母で、賀茂建角身命は、その玉依姫命の父である。
創建時期は不明だが、崇神天皇7年(紀元前90年)に神社の瑞垣の修造が行われたとの記録があることから、それ以前からあったらしく、社伝には、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したと伝えている。
時代に沿って、天皇や朝廷、幕府などからの篤い崇敬を受けていたので、特に荒れることもなく今に至っている。他に書く事ねーもん!
俺が行ったときには、丁度本殿と後述する大炊殿の特別公開がされていた。本殿は撮影禁止だったが、至近で見られたので、少しはご利益が得られただろうか。
境内の森林は、「糺の森(ただすのもり)」と呼ばれて、木々が鬱蒼と茂っている。俺が行ったときには、丁度古本市をやっていたのだが、持ち合わせがないのでスルー。
大鳥居。
手水場。
鳥居を抜けてすぐにある、相生社。産霊神(むすびのかみ)を祀る。
楼門。
舞殿。その奥で改装工事しているのは、橘殿。
神服殿。通常非公開だが、予約したら特別拝観が出来るという。
出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)。比良木社(ひらきしゃ)とも。建速須佐乃男命(たけはやすさのおのみこと)を祀る。
井上社。御手洗社(みたらししゃ)とも言う。瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)を祀る。この社の下にある池は、水泡とともに湧き出る水の形から、みたらし団子発祥の地と伝えられている。
中門。
入ったら、言社と言う7つの末社があった。干支の守り神だと言う。
二言社。右が大国主神を祀る、子年の守り神。左が大物主神を祀る、丑年と亥年の守り神。
一言社。左が大国魂神を祀る、巳年と未年の守り神。右が顕国魂神(うつしくにたまのかみ)を祀る、午年の守り神。
三言社。左が、八千矛神(やちほこのかみ)を祀る、辰年、申年の守り神。中央が、大己貴神(おおなむちのかみ)を祀る、寅年、戌年の守り神。右が、志固男神(しこのおかみ)を祀る、卯年と酉年の守り神。
拝殿。普段はこれ以上先へはいけないが、俺が行ったときには特別拝観で有料で本殿まで近づけたのじゃ。ただし、撮影禁止だったので、中の画像は、ない。
大炊殿(おおいどの)とその周辺。ここも特別拝観のときしか入れないが、ここは写真撮影はOK。神聖な領域の外だからいいってことかしら。
印納社。印璽大神(おしでのおおかみ)と倉稲魂神(くらのいなたまのかみ)を祀る。使い古した印鑑を納めるんだと。
右が愛宕社で、左が稲荷社。
なんだ、ここから摂社の三井神社が拝めるじゃないか。他に祀ってあるのは、看板参照。さて、次は南に外れた河合神社を参拝だ。
河合神社の鳥居と楼門。
舞殿と、拝殿。河合神社本殿に祀られているのは、玉依姫命。下鴨神社の主祭神の玉依姫命とは同名異神で、こちらは神武天皇のご母堂にあたる。
本堂となりのお社。右が貴布禰神社。高龗神を祀る。左が任部社。八咫烏命を祀る。ここは、サッカー必勝祈願のパワースポットらしく、サッカーボールがよーけお供えされていた。
六社(むつのやしろ)。右から諏訪社、衢社(みちしゃ)、稲荷社、竈社、印社、由木社。何が祀られているかは、看板参照。
楼門の向かいにある三井社。右から、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)を祀る。
なんだかんだで、京都の神仏霊場もあと6箇所だけではありませんか!長い道のりだった!
三田に戻った帰りに、花山院に寄る。
- 花山院:西国三十三箇所・番外札所。山号を含めた正式名称は「東光山菩提寺」。本尊は薬師如来である。
白雉2年(651年)、法道が開基したと伝えられる。天竺から紫雲に乗って飛んできたとか伝説があるが、法道が開基したと伝えられる寺は、兵庫県には結構あったりする。
西国三十三箇所を中興した、花山法皇が晩年を過ごした寺であるのは有名だろう。wikipedia:菩提寺 (三田市)によると、正暦3年(992年)頃に、西国三十三箇所を巡礼した花山法皇(ちなみに、ご詠歌も法皇作である。)が、播磨清水寺に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪ねて隠棲の地とした。その後晩年に帰京するまでの約14年間を過ごしたとされる。これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当山は東光山と呼ばれるようになったと言う。
その後、再び入山し、寛弘5年(1008年)に崩御している。
山門。
手水場。
花山法皇廟所。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)。こういうフォルムの石塔をこう呼ぶのだと。
瑠璃光殿。本尊の薬師如来はこっちだぞ。
薬師堂と花山法皇殿の間にある祠。池の真ん中にあるから、弁才天か竜神祀ってる?
修行大師像。菩提寺は真言宗の寺なのだ。
なんかお社。何が祀られているのかはわからん。台座が八角形なのは、なんか関係があるのだろうか。
三寶大荒神。
寺務所入って左手にある鐘楼。
寺務所内のお堂。中覗いたら、護摩堂かしら。