ぐだぐだに京都満願。

先週で満願になるはずだった、神仏霊場の京都の札所。しかし、最後の最後でご朱印の受付を日曜日にやっていなかった相国寺にひっかかる。土曜日も土曜日で午前中しかやっていない。仕方なく、今日また出直して、ご朱印をゲット。なんともグダグダ。
ともかく、神仏霊場巡拝の道、京都・楽土の道満願!残すは滋賀 欣求(ごんぐ)の道を残すのみ!
このまま滋賀に行こうかと思ったが、気が抜けたので、帰る。帰るついでに穴太寺に寄ろう。先達になってから行ってねぇや。

  • 穴太寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:穴太寺参照。):西国三十三箇所・第二十一番札所。山号は菩提山で、本尊は薬師如来だが、札所本尊は聖観音。堂宇は前回撮ったので、そちら参照。んで、加筆修正施した。
    寺伝によると、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂薬師如来を本尊として開創したとされる。その後、平安時代に宇治宮成によって聖観音菩薩像が納められた。「身代わり観音」の伝説として今昔物語や扶桑略記にも書かれているという。
    この地で郡司をしていた宮成は、信心深い妻の勤めで、京都から仏師を呼んで聖観音像を彫ってもらった。そのお礼として仏師に馬を与えたのだが、いかんせん、この宮成、たいそう欲深い男であって、仏像も馬も自分のものにしたく、仏師を矢で射て殺してしまう。なんという極悪っぷり。
    馬も奪い返し、ホクホク顔で家に帰ってみたら、なんと、自分が射た矢が刺さった聖観音像がそこにいた!もちろん仏師は生きていた。それで改心した宮成は夢枕での聖観音のお告げを聞いて、本堂を建てて、聖観音像を納める事に相成った。
    まぁ、その本堂は享保年間に火災で焼け落ち(現在の本堂は享保20年(1735年)に再建された。)、件の身代わり観音も1968年11月に盗難に遭い、未だに見つかっていないのだが…。


    仁王門。


    前述した、宇治宮成の墓がこの寺にはある。


    本堂の中に入るのは有料だぞ。庭園にも入りたいときにはさらに料金が加算されるぞ。ちなみに、庭園は冬季は閉鎖しているぞ。