先達になっても、ご朱印集めはまだまだ続く。


  • 安岡寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:安岡寺_(高槻市)参照。):「あんこうじ」と読む。近畿三十六不動尊霊場・第十二番札所。山号含めた正式名称は「南山般若院安岡寺」。本尊は如意輪観音


    青梅観音堂。昔近くにあった安正寺の像を譲り受けた。納められている千手観音は腕がごつい印象。お堂の前には梅の木がある。かつて安正寺は「青梅寺」とも呼ばれ、梅が咲きほこっていたそうな。その名残を思わせようということかしらん。


    手水場。


    本堂と青梅観音堂の間にある社。左が神福龍王大王社。この下には観音霊水という井戸がある。右が鎮守の御社で、祀られているのは、熊鷹大神、大杉大神、天照大神、白菊大神、蛭子大神、神服大神。


観音堂。元々は阿弥陀堂だったそうだが、篤志家(とくしか:社会奉仕に熱心な人)の栗田金太郎氏によって奉安された聖観音像が納められている。
ついでなので、立て看板に書いてあった文章を転載しておく。

安岡寺は、南山と号する天台宗系の単立寺院で、如意輪観音を本尊とする。宝亀6年(775)に光仁天皇の子、開成皇子が創建したと伝えられ、本堂の背後の岡に、大般若経600巻を一石に一字書写して安置したことから、安岡寺般若院と称するようになったという。
戦国時代には、三好氏や高山氏の兵火にあい荒廃したが、江戸時代の寛文年間(17世紀後半)に良盛(りょうせい)が再生、大日坊など4塔頭(たっちゅう)をかぞえ、大いに栄えた。しかし明治時代の廃仏毀釈により、現在は本堂や鐘楼、院号の由来となった般若塚、青梅観音堂などとなっている。
本堂には、本尊のほか愛染明王坐像、不動明王像、地蔵菩戯像などが安置され、青梅観音堂には千手観音坐像が祀られている。この観音坐像は、青梅観音ともいわれ、真上にあった安正寺(あんしょうじ)の本尊であったが、廃寺に伴って当寺に移された。樽の一木造りで漆箔(しっぱく)がほどこされ、像高137cm、平安時代初期の作とみられ、昭和49年6月に国の重要文化財に指定されている。
当寺で毎年2月1日に行われる大護摩供(おおごまく)では、大峰山の行者や訪れた人々らが焼けた丸太の上を素足で歩き、無病息災や交通
安全などを願う。

護摩供は、昔テレビで見たことあるような…。素足で火渡りしてるってやつ。
おぉ、だいぶ西日が差してきたな、行けるところまで行くか。

  • 水無瀬神宮(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:水無瀬神宮参照):神仏霊場巡拝の道六十二番(大阪二十一番)札所。本殿に祀られているのは後鳥羽上皇、その息子である土御門(つちみかど)天皇順徳天皇
    この神社は、かつて後鳥羽上皇一家が好んで住んでいた離宮・水無瀬殿の跡地である。ご存知の方も多いだろうが、後鳥羽上皇鎌倉幕府にたてついて承久の乱を起こしたが敗北し、島流しにされる。後鳥羽上皇隠岐へ、土御門天皇は直接乱には関わっていないが自ら志願して土佐へ、そして順徳天皇佐渡へと。そして彼らは崩御するまでこの地に足を踏み入れることはなかった。後鳥羽上皇崩御後、彼を弔うために建てられたのだが、明治に入って2人の息子も合祀された。


    鳥居。俺はこの近くで非常にけしからん落書きを発見する。落書き自体もけしからんが、さらに輪をかけたけしからなさだった。詳しくは言えないが、俺は心底腹が立ったので、書いた奴はとっとと罰が当たればいい。


    神門。石川五右衛門がここに盗みに入ろうと試みたが、神の力で中に入ることができず、仕方なくつけた手形が残っている。門の右上に金網に囲まれた状態で見られるぞ。


    手水社。ここには離宮の水という、日本の名水百選がある。俺が行った時も、ポリタンクを持って人が行列をなしていた。つぎは摂末社をサクサクと上げるか。



    左が稲荷神社。祀られているのは倉稲魂命(うかのみたまのたましい)。右が星阪(ほっさか)神社。祀られているのは、星阪但馬守正成命(ほっさかたじまのかみまさしげのみこと)。後鳥羽上皇に使えていた人で、その息子の能茂は出家し、西蓮という名で上皇の冥福を祈って行脚したという。


    左が柿本神社。祀られているのは、柿本朝臣人麿卿(かきのもとあそんひとまろきょう)…柿本人麻呂だ。右が春日神社。祀られているのは、天児屋根命武甕槌命経津主命比売神



  • 石清水八幡宮:神仏霊場巡拝の道・第八十一番(京都一番)札所。本殿に祀られているのは、応神天皇、比竎大神(ひめおおかみ。多岐津毘売命(たぎつひめのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)・多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)の宗像三女神で一つの神なのだ)、神功皇后応神天皇の母)である。以上の三神を総じて「八幡大神」とするのだ。この神社は伊勢神宮に次いで天皇家にゆかりの深い神社であるそうな。現在は平成の大修復と称して、方々で改修工事が行われている。俺が行った際には、本殿は修復を終えて、現在はその周りの門の補修を行っていた。ちなみにこの修復、平成5年から行っていて、平成30年まで行われるそうな。偉い壮大やな!さて、摂末社を参るか。むっちゃくちゃ広い境内(てか、山全体が神社の境内)なので、本殿周りのみにし、ふもと界隈の摂末社は参っていない。


    左より、長田社、生田社、廣田社。祀られているのは左より、事代主神、稚日女命、天照大御命。


    左が摂社・住吉社。あ、特に表記がない場合は、全て末社です。祀られているのは、底筒男神、中筒男神、表筒男神、右が一童社。祀られているのは磯良神。漁業安全の神だって。


    左が龍田社。祀られているのは級津彦神と級津媛神。右が貴船社。祀られているのは高龗神(たかおかみのかみ)。


    若宮社。祀られているのは仁徳天皇応神天皇の子供であると知る。ここはまだ修復の手が回っておらず、檜皮は葺き替えられていないし、柱にも朱が塗られていない。


    その隣の若宮殿社。祀られているのは、応神天皇の皇女となっている。wikipedia:応神天皇を参照すれば、応神天皇には皇后以外に妃がごっついて、それぞれ子供がごっついるので、皇女もごっついる。そんだけごっつ祀られているから、女性もごっつ参っているというわけ。


    左が気比社。祀られているのは気比大神。気比と聞いて、敦賀気比高校を思い出した人はビンゴ。気比大神こと伊奢沙別命(いざさわけのみこと)が祀られているのが、福井県敦賀市にある氣比神宮である。右が水若宮社。祀られているのは宇治稚郎子命(うじのわらいつこのみこと)。菟道稚郎子とも言う。応神天皇の皇太子として次代の天皇という将来が約束されていたのに、仁徳天皇にそれを譲るべく自害したという。

大分、西日が差してきた。今日はこれまでだ。