ひらパーと家具団地
まぁ、枚方方面の霊場を巡ってきたのである。ひらパーにも家具団地にも行っていない。
当初は施福寺に行くつもりだったが、大阪に下るんだからついでに、と成分献血したら、終わったのが2時過ぎだった。今やってる巡礼では、大阪府内でまだもらっていない札所は、河内方面か枚方方面しかない。よし、平方方面にしよう。阪神高速守口線に飛び乗り、さくっと参ってきた。
- 久修園院(オフィシャルサイトもwikipediaもない。西国愛染十七霊場のページ参照。):西国愛染十七霊場・第十二番札所。山号は天王山。正式名称は「木津寺久修園院(こつでらくしゅうおんいん)」。本尊は釈迦如来だが、札所本尊の愛染明王が祀ってある愛染堂をトップにおく。
神亀2年(725)9月に行基が開基した。かつては広大な伽藍や多く塔頭(たっちゅう)を持つ寺院だったが、大坂夏の陣の兵火に巻き込まれてほとんど焼失してしまう。その後、延宝8年(1680)に近くの石清水八幡宮大乗院の僧、宗覚(そうかく)が中興し、現在に至っている。
駐車場入り口。こっからお参りに行こうと思ったら、なにやら看板が。えーなになに?
西国愛染霊場第十二番、ご朱印お求めの皆様へ せっかくお運びいたしましたのに、ご迷惑かけて申し訳ありません。
四月三日から暫くの間塔寺のご朱印は、第13番霊場「西大寺」にて受け付けさせていただきます。
甚だ勝手ではございますが、右、よろしくお願い申し上げます。久修園院
うそーん!せっかくここまで来たのにー!?しょうがない、お堂だけでも拝むか。と、入り口を探すが、門は閉じている。
とりあえず、納骨堂を写真に収めて。困ったな。
駐車場の地図の看板に書いてある通り、さっきのところのインターホンを押してみる。
ピンポーン…
「ハーイ。」
いるじゃん!
「あ、あの、愛染さんお参りしたいんですけど。」
「どうぞー。開いているのでお入り下さい。」
あっさり入れたし!
中に入って暫く経つと、妙齢の女性がこっちにやって来た。
「こんにちはー、よぉお参りでー。」
「前の看板見たら、ご朱印はやってないって書いてあったんですけど。」
「あぁ、いつもいるおばあさんが入院してまして。私が書きますよ。」
その女性に愛染堂に案内されて、お勤めをすまし、ご朱印を手に入れる。伽藍はこじんまりとしているけど、交通の重要拠点が固まっている天王山の麓にあるとは思えないほどに静寂に包まれていた。
本堂。本尊である釈迦如来が納められている。
霊亀社…と案内に書かれていたお社。ググッタら、過去には「海上安全 霊亀社」という立て看板もあったようだ。
鐘楼。
さ、次は成田山へ行くとしよう。
- 成田山大阪別院明王院(成田山不動尊):近畿三十六不動尊霊場・第二十八番札所。ここは千葉県にある成田山新勝寺の別院である。山号は成田山で、本尊は不動明王だ。
歴史は意外と浅い。香里園は大阪市から見たら丁度鬼門の方角にあって、京都から見ても裏鬼門にあった。それ故、なかなか街が開けなかったそうな。そこで昭和9年、京阪電車が当時ここにあった香里遊園地を枚方に移転させ(後にひらかたパークになる)、跡地に成田山新勝寺の別院を建立してくれと依頼し、現在に至っている。なんとも豪快な話だな!そんだけ京阪電車とはつながりが深いので、京阪電車側も全ての車両に成田山のお札を貼っているのだ。
山門
祈祷殿。成田山といえば、交通安全祈願で有名ですな。俺が参った時も、何十台も前で祈祷されてましたよ。
手水場。ここで手を洗う。
大師堂。真言宗系列の寺には必ずある。
鐘馗大神(しょうきだいじん)像。中国唐の時代、病に侵された玄宗皇帝(げんそうこうてい)に取り付いていた疫病神をやっつけたという。五月人形として飾る地域もある。うちの五月人形は鎧だったな。関係ねぇか。
左から、子育地蔵、厄除地蔵、融通地蔵。
大黒天堂。
オフィシャルサイトには出世稲荷堂となっているが、神額には「口乇枳尼天尊」と書かれている。「口乇」で一文字ね。「だきにてん」と読む。元は人間を食らう夜叉だったが、大黒天に化けた大日如来によって改心し、死者の心臓を食うようになった。日本に伝わった際には、狐に乗っている像だったので、稲荷さんと併せて祀られていることが多い。