聞いてみや〜ち

さて、兄貴一家も帰ったことだし、ご朱印集めに参りますかな。
奈良に行くつもりが、間違えて名神に乗ってしまった。よし、このまま新名神で三重に行ってしまおう。

  • 田村神社:神仏霊場巡拝の道・第百三十四番(滋賀二番)札所。坂上田村麻呂が祀られている神社。三田市内のとある神社の神門には、菅原道真ともう一人、矢を持っている人物が祀られている。誰だろうと思っていたが、どうもこの人物のようだ。調べると、菅原道真が学問を司るなら、坂上田村麻呂は武道を司っていて、文武両道を司っているのだ。
    現在、田村神社は御鎮座1200年を記念して、改装工事が行われている最中。既にほとんどの建物の改修は終わり、俺が参った時は本殿が改修中という状況だった…。


    で、現在の仮本殿である拝殿。


    手水場。


    本殿の隣にある、吉崎稲荷社。


    正月三ヶ日の真っ只中だけあり、出店もようけ並んでいた。何も買わなかったけど(おいおい)。

国道1号線をひたすら三重県へ向かって走らせる。AMラジオも三重に入ったら関西のラジオは入らなくなり、チューニングをあわせたら、バリッバリの名古屋弁トークが炸裂していた。聞いてみやーちとかいう番組。


  • 地蔵院:西国愛染十七霊場・第十番札所…だった*1山号を含めた正式名称は「九関山地蔵院宝蔵寺」なのだが、一般的には地蔵院として名が通っているとwikipedia。画像は札所本尊である愛染明王を納めた愛染堂で、


    本堂はこちら。本尊である地蔵菩薩像は、日本最古のものだという。



    鐘楼と手水場。ちなみに鐘楼を含めて本堂と愛染堂は、国の重要文化財ですぞ。


    鎮守社。看板には「鎮守地蔵天神社」とか書かれている。


    この地蔵院は、旧東海道沿いにあるお寺で、周辺は東海道五十三次のひとつ、「関の宿」という宿場町として栄えていた。いまでも町屋などの建物は数多く残っていて、当時の風情が垣間見…
    「プップー!」
    後からクラクション鳴らされた(爆)。

さて、さらに国道1号線をひた走ろう。



お昼1時近いな。津市内の幸楽苑でラーメンを食う。今年初ラーメンだ。味?普通すぎるほどに普通の醤油ラーメン。多分全国ドコでも同じ味なんだろうな。さ、次は四天王寺だ。

  • 四天王寺西国薬師四十九霊場・第三十四番札所。山号は「塔世山(とせざん)」。本尊は薬師如来推古天皇の勅願で聖徳太子が開基し、江戸時代には伊勢津藩の初代藩主である藤堂高虎(豊臣家から徳川家に寝返った男というイメージしかない。)が再建した寺である。…家に帰ってから、サイトを調べたら織田信長の母親の墓があることを知る。


    山門。津市の重要文化財で、この寺では最も古い建造物みたい。


    稲荷社。境内と、境内の外の壁沿いにもあった。


    大黒堂…でいいのか?織田信長が奉納したという、弁財天、毘沙門天、大黒天の三面像が納められている。撮影禁止につき、像は自分で行って確認しよう(ヲイ)。


    鐘楼と中門。中門のほうが、山門ぽいな。

日も傾きかけた。急いで弥勒寺へ向かわねば。名張ってほとんど奈良県じゃん!急げや急げでついたのが15時30分。西日もかなり差してきた。


  • 弥勒(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:弥勒寺 (名張市)参照):西国薬師四十九霊場・第三十六番札所。山号は「日朝山(にっちょうざん)」で、本尊は薬師如来天平8年(736年)に円了上人が開基したと言われている。天慶8年(945年)に良弁上人によって七堂伽藍(ようするに、ごっつ広くてお堂もいっぱい立ち並んだお寺)になったが、明治の頃にはほとんどなくなってしまった。その名残は、納められている諸々の仏像でしか感じられないだろう。薬師如来、十一面観音、役行者…今の本堂は昭和54年に建てられた鉄筋の建物である。


    こじんまりした手水場。


    寺の奥にある、春日神社。祀られているのは、天児屋根命(あまこやねのみこと)、菅原道真建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、誉田別命(ほむたわけのみこと…応神天皇)、大物主命(おおものぬしのみこと…大国主命の和魂(にぎみたま)と言われている)、大山祇命(おおやまつみのみこと…酒造りの神)、宇迦御魂命(うかのみたまのみこと…お稲荷さん)、闇淤迦美命(くらおかみのみこと…龗神ともかく。水の神様)、大日女貴命(おおひめのむちのみこと…天照大神のこと)、五男三女命(アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた神のこと。)

後一箇所、三重県内にある愛染院も回れないか?カーナビで調べる。割と近いな!日没ギリギリだが、ここも行くことにした。



  • 愛染院(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:願成寺 (伊賀市)参照):西国愛染十七霊場・第十一番札所。山号を含めた正式名称は「遍光山愛染院願成寺(へんこうざんあいぜんいんがんじょうじ)」だが、愛染院で知られている。本尊は愛染明王
    本尊の愛染明王弘法大師作と伝えられ、醍醐寺仕主、憲法僧正(wikiでは寛深僧正となっている)が、後鳥羽上皇の病気が直るようにこの地で祈願したところ、治癒したことが始まりと言われている。その後、元暦年間(1184-1185)に天皇の命で鏡覚阿闍梨(きょうかくあじゃり)が開基したと言われている。しかし、天正9年(1581年)の兵火で焼失し、寛文年間(1661年 - 1673年)に実恵法印が再興した。
    あと、ここは松尾芭蕉の一族の菩提寺としても知られていて(俺はこの日知ったが)、有料で故郷塚が拝見できるぞ。


    山門。



    行者堂。役行者像が納められている。主だった堂宇はこんだけ。非常にこじんまりした伽藍である。

大分回ったなぁ。クッタクタ。

*1:2011年2月頃に退会し、現在の10番札所は和歌山県高野山増福院になっている。