洛西界隈をいろいろと。その1。
- 善峯寺:西国三十三箇所・第二十番札所ならびに神仏霊場巡拝の道・第八十五番(京都五番)札所。山号は「西山」で、本尊は十一面千手観世音菩薩。西国三十三箇所2巡目の重ね印をゲットして、今回は本堂以外のお堂もバッチリ回ってきましたぞ!
山門。
本堂向かいの休憩場に納められている三十三観音とびんずるさん。西国三十三箇所に参った気分になれ…る?びんずるさんは悪いところをさすると良いぞ。
本堂隣りの大師堂。
その隣りの…地蔵堂だったっけ?ど忘れ。
鐘楼と手水場。
護摩堂。不動明王を含めた五大力尊が納められている。不動明王以外は、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王か。覚えられねぇなぁ…。
多宝塔。元和7年(1621年)に賢弘法師によって再建されたこの寺では最も古い建造物である。
経堂。絵馬がぎょうさん飾られていた。
真横で申し訳ないが開山堂。この寺の開基である源算上人117歳(!)の時の姿を彫った像が納められとる。
十三仏堂。4つのお社があって、右から護法尊、毘沙門天、弁財天、十三仏となっていた。鎮守社らしい。
釈迦堂。この寺の開基である源算上人が彫ったと言われる釈迦如来像が納められている。元々は善峯寺のさらに奥にあったそうだが、明治18年に今の場所に移されたという。あと、薬湯場という風呂もあったが平成20年以降やっていないという。
奥の院の薬師堂と、そこからの眺望。
稲荷社。
阿弥陀堂。阿弥陀如来の真言が空で言えるようになった。「おん あみりた ていせい から うん」
- 大原野神社:神仏霊場巡拝の道・第八十六番(京都六番)札所。桓武天皇と言えば、「鳴くようぐいす平安京」という語呂合わせでもおなじみ、都を平城京から平安京に移した天皇であるが、実はその前に784年に長岡京に都を移していたのだ。だけど天災やら親族の不幸が相次いで794年に平安京に移したという(詳細はwikipedia:桓武天皇参照)。この神社はその長岡京時代に、桓武天皇の后(藤原乙牟漏)が奈良の春日社(ちなみに、藤原家の氏神でもあるそうな)を祀ったことが始まりと言われている。ちゃんとした社殿が設けられたのは、嘉祥3年(850)文徳天皇の頃であるが。
そういうわけで、この神社は「京の春日」とも呼ばれていて、祀られているのはもちろん春日大社と同じ、武甕槌命(たけみかづちのみこと。この神社では武御賀豆智命)、経津主命(ふつぬしのみこと。この神社では伊波比主命)、天児屋根命(あまこやねのみこと。この神社では天之子八根命)、比売神(ひめがみ。この神社では比竎大神)である。全く、神道(しんとう)は神々の名前が統一されていないからややこしい。摂末社など。
鳥居と、参道。まぁ、取り立てて書くことはないわな。
手水舎。サイトによると、藤原氏にゆかりのある神社(春日大社、枚岡神社、吉田神社)には手水場に鹿の像が置かれていることを初めて知る。武甕槌命が春日大社に鎮座する際に鹿嶋神社から神鹿に乗ってやってきたことが由来している。だから春日大社界隈には鹿が多かったのか。
左が八坂社。右が稲荷社。
左が白髭・藤森社。右が秡戸社…?いや、扁額が「(禾友)戸社」ってなっていて読めないから、多分秡戸社でないかと…。
地主社。池の真ん中に建てられているから、弁財天も祀っているのだろうか。
若宮社。摂社である。天忍雲根命(あめおしくもねのみこと)。天児屋根命と比売神の息子…あぁ、枚岡神社にもあったわ!
(2012年6月13日追記)オフィシャルサイトが開設されていたので、リンク先変更しますた。
- 正法寺:西国薬師四十九霊場・第四十一番札所。けだし薬師如来が本尊ではない。本尊は千手観音だ。しかも三面千手観音と言って阿修羅像みたいに顔が三つ並んだ姿をしている。他にも弘法大師が自身の厄除け祈願に彫って納めた聖観音像もある。山号は法寿山。
天平勝宝6年(754年)、奈良唐招提寺を創建した鑑真和上の弟子である智威大徳がこの地で修行したことが始まりとされ(ちなみに、そん時に祀っていたのが薬師如来である)、その後、最澄が大原寺として創建した寺である。大原寺は応仁の乱で焼失してしまうが、それから元和元年(1615年)、恵雲律師、徴円律師により正法寺として再興され、元禄年間(1680〜1703)には、徳川綱吉の母、桂昌院の帰依を受けて、徳川家代々の祈願所となったという。へー。
春日不動堂。不動明王が納められている。ここは本堂ではないぞ。俺は勘違いしていっぱい撮ってしまった(笑)。
春日不動堂隣にある春日稲荷社。智威大徳がこの地で修行の際、白狐が対外的な役割を果たしたと言われる。
遍照塔なる建物。元は高台寺にあった、日清および日露戦争の死者を慰霊する「忠魂堂」をここに移転、2010年3月2日に落慶法要したという(京都新聞サイトより)。
長くなったから、その2へ続く。