洛西界隈をいろいろと。その2。
その1はこちら。
- 勝持寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:勝持寺、ならびにここやここ、ここを参照):西国薬師四十九霊場・第四十二番札所。山号は小塩山。正式名称は「小塩山大原院勝持寺」。白鳳年間(680年)、天武天皇の勅願で役小角が創建したと伝えられている。後に延暦10年(791)桓武天皇の勅願で最澄が再興し「小塩山大原寺」になる。本尊の薬師如来は最澄が彫ったという。
さらに仁寿年間(851〜854)に、仏陀上人が文徳天皇の帰依を得て伽藍を建立し、寺号を大原院勝持寺と改めた。南北朝時代には足利氏の手厚い保護を受けていたが、応仁の乱で伽藍は仁王門を除いて全て焼失してしまう。天正11年(1583年)に、青蓮院宮尊朝法親王が当寺の再建に努め織田信長、豊臣秀吉もそれに乗じた。江戸時代には正法寺同様に、桂昌院(徳川家光の側室で、徳川綱吉の母)の帰依を受けて、現在の伽藍に至っている。
ここは「花の寺」という別名もあり、西行がこの地で隠棲しその時に植えたといわれるのも含めて、100本も桜の木があるところからそう呼ばれている。秋には紅葉も綺麗だそうだが、冬に行ってもなにもおもしろくない(爆)。
山門。仁王門は大野原神社から行けば見られるのだが、遠いのでやめた。門をくぐったところには納経所 兼 庫裡(くり)があって、改築工事がされていた。ご朱印は隣のプレハブの建物で得るのであった。
不動堂。不動明王のほかに愛染明王も納められているぞ。
ほな、次は嵐山方面へ向かいますかな。
- 大覚寺:近畿三十六不動尊霊場・第十三番札所ならびに神仏霊場巡拝の道・第八十九番(京都九番)札所。山号は嵯峨山で、本尊は不動明王を含めた五大明王(降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)である。元々は嵯峨天皇の離宮(別荘みたいなもんか?)で、ここで弘法大師が五大明王を納めて、修行したことが起源とされている。その後、嵯峨天皇の長女・正子内親王がここを大覚寺と号し、初代住職を自分の息子の恒寂入道親王にした。
鎌倉時代には後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行ったため「嵯峨御所」とも呼ばれたり、南朝側の天皇にも縁が深い寺でもあるが、応仁の乱で焼失。今の伽藍になったのは江戸時代になってからである。
この寺は、時間をかけて周るべきだと判断。午後から行くもんではないな。ご朱印だけもらうのはもったいなかったなぁ…。もう一回いこう。
表門
宸殿からみた勅使門
宸殿前。宸殿の建物は撮れるポイントが見つからなくてやめた。
御影堂。弘法大師や嵯峨天皇などが祀られている。
御霊殿。公家の一つである近衛家の人間が住んでいたという。
本堂から見た勅使門
勅封心経殿(心経殿)。経堂である。嵯峨天皇をはじめ、歴代天皇の写経が納められている。
- 車折神社:神仏霊場巡拝の道・第九十一(京都十一番)札所。「くるまざきじんじゃ」と読む。主祭神は清原頼業(きよはら・よりなり)。平安時代後期に活躍した儒学者・漢学者である。清原家は天武天皇の息子、舎人親王(とねりしんのう)の血をひく家柄で、一族には清少納言もいる。
頼業の死後、お墓がある場所に「宝寿院」なる寺が建てられていた。神社の名の由来は、後嵯峨天皇が嵐山に御遊幸の砌(みぎり)、社前で牛車の轅(「ながえ」と読む。場所はここ参照)が折れたので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。
俺が参った時は、とにかくすごい行列が出来ていた。パワースポット云々で、有名人が大挙お参りに来たり、テレビや雑誌によく出ているそうで。別に興味はないが(笑)。摂末社を巡りますかな。
第三鳥居(オフィシャルより引用)と、手水場。
本殿の裏にある、八百萬神社。八百萬神が祀られている。
地主神社。嵯峨天皇が祀られている。元々はこの神社の近くにあった寺に祀られていたのを移転してきたという。
滄海神社。弁天神社とも呼ばれる。祀られているのは弁財天、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。これも元々はこの界隈にあった寺の鎮守社だったのをここに移転したもの。
天満天神社。「そらみつあまのかみのやしろ」と読む。祀られているのは天満大神。菅原道真公ではないとわざわざ注釈してくれている。小森貫なる繊維業者が平成11年に寄進した。
神明神社。天照大神を祀っている。
清めの社。出雲大社の祓社みたいなものだろうか。ここをお参りしてから、社務所でお守りをもらって、本殿をお参りするとベストらしい。俺はご朱印もらうだけにしますが。
この神社のもうひとつの目玉が、この芸能神社。天宇受売命(あめのうずめのみこと…天岩戸で皆の前で踊りを見せ、バカウケさせた神だ。)を祀ったこのお社は、芸術・芸能関係からとても篤い信仰を受けている。どんだけ篤いかは、境内一面に連なった玉垣がそれらを象徴している。
その芸能神社の鳥居の両脇にある芸能道具塚社。納札所みたいなもんか。
葵忠社(きちゅうしゃ)。幕末の頃、尊王攘夷運動で勤皇派長州藩に多大な支援をした福田理兵衛を祀っている。
清少納言霊社。前述したように、清少納言は清原家の血をひいている。
祖霊社。歴代の神職や氏子を祀っている。
水神社。罔象女神(みずはめのかみ)が祀られている。
愛宕神社。迦具土神(かぐつちのかみ)が祀られている。火の神ですな。
小唄堀派祖霊社。
辰巳稲荷神社。お稲荷さん…宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が祀られていますな。辰巳と頭についているのは、おそらく本殿から見て東南にあるからだろう。
大国主神社。大国主命が祀られている。にもかかわらず(大黒さま)とも表記されていて一瞬、混乱する。神仏習合の頃には大国主命と大黒天がイコールだったという考えがあったのだ。伏見稲荷神社では般若心経を唱える人がいたり、神仏習合の名残は今もあるのね…。
これで、ようやくうp完了。どんどん長くなっていく。