2箇所だけ。


  • 松尾神社:神仏霊場巡拝の道・第八十七番(京都七番)札所。主祭神大山咋神(おおやまぐいのかみ)と中津島姫命(なかつしまひめのみこと)。大山咋神はこの神社のある松尾山の神(比叡山の神でもある)で、醸造の神様としても酒や味噌、酢、醤油のメーカーから崇められている。なので、神社には酒樽が山ほど奉納されているのだ。中津島姫命は市杵島姫命(弁財天)の別名である。
    紀元5世紀の頃に朝鮮半島から渡ってきた秦氏がこの地で大山咋神氏神にしたのが始まりと言われている。大宝元年(701年)、文武天皇の勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営し、平安時代より賀茂神社と共に皇城鎮護の神として崇められていたという。では、他のお社も見て回りますか。

    鳥居。赤いですね。デカイですね。


    楼門。江戸時代の頃に建てられた。随神が配置されている。随身…門番みたいなもんだ…を神道ではこう書くんだと。


    拝殿と手水場。



    右が衣手社。羽山戸神(はやまとかみ)を祀っている。左が一挙社。一挙神を祀っている。素戔男尊の別名らしい。


    金刀比羅社。大物主命を祀っている。大国主命の和魂(にぎたま)である。金刀比羅神社は総本山の香川に参ったことあるが、何祀ってあるのか知らなかったな。


    祖霊社。歴代の神職や氏子を祀ってる
    摂末社は他にも四大神社、三宮社、滝御前社の三社があるが、そこに参るには、有料の庭園に入らなければならないので、やめた。今度余裕があると気に入ってみることにしる。


  • 神護寺西国薬師四十九霊場・第四十四番札所ならびに神仏霊場巡拝の道・第九十番(京都十番)札所。山号は「高雄山」で、正式寺号は「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と言う。本尊は薬師如来。元々は和気清麻呂なる人物(平安遷都の提唱者であるそうな。)が神護寺のある場所に建立した高雄山寺が大元になっている。清麻呂公亡き後、その子息が最澄空海といった高僧を招き、真言宗の寺院としての基礎を得る。天長元年(824年)に、これまた清麻呂が建立した神願寺(河内にあったとされているが、正式な場所は不明)と合併し、「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と改める。
    平安末期には一旦衰退するが、文覚(もんがく)が後白河法皇源頼朝らの援助を得て、寺の再興に励んだ。上画像の金堂に、社会の教科書でもおなじみ、源頼朝肖像画の複製が飾られているのはそういうわけなのだ。


    この寺、車で上がれない場所にあって、麓で一旦停めて、石段を上がらなあかんのだ。結構急だぞ。


    楼門。


    和気公霊廟。和気家代々の墓である。ここから離れたところに和気清麻呂の墓があるが、行くわけない(笑)。


    明王堂。


    毘沙門堂。今の本堂が出来るまではここが本堂だったのだ。ちなみに金堂は昭和9年に山口玄洞居士の寄進により建てられたものだ。


    その裏手にある五大堂。実は神護寺は戦国時代に兵火で焼失し、現在建てられている堂宇のほとんどが江戸時代始めに讃岐より龍厳上人を招き、上人に帰依する京都所司代板倉勝重の援助の下、再興されたものだ。


    金堂から見た毘沙門堂(奥)と五大堂(手前)


    大師堂。


    地蔵院。奥にはかわらけ投げが出来る場所がある。なんでも、神護寺がかわらけ投げ発祥の地と言われているのだ。俺が行った時は…かわらけ売り場は閉まってた(爆)…。

割と歩かされたんで、やめだやめだ。テキトーに京都市内でラーメン食ってあとにする。
京都市内にある札所は、入山料(500円〜800円くらい)を徴収するところが多い。おまけに車だと駐車場代(300円〜700円)も請求されるので、その値段もバカにならない。なかなかご朱印集めが進まないなぁ。おまけに渋滞も多いし。