生駒山、のち信貴山。

  • 宝山寺:神仏霊場巡拝の道・第二十九番(奈良十六番)札所、西国愛染十七霊場・第十四番札所、ならびに近畿三十六不動尊霊場・第二十九番札所。山号生駒山。本尊は不動明王。本堂が近畿三十六不動尊霊場の札所本尊だ。
    寺の伝えによると、元々は斉明天皇元年(655年)に役行者が開いた修険道場で、弘法大師も修行した場所としても伝えられていた。江戸時代、延宝六年(1678年)に宝山湛海律師がこの山に入った。そして、ここに聖天(大聖歓喜天)を祀ったことが、この寺の創建のきっかけなわけ。


    左が駐車場近くにある金剛殿。ここで交通安全祈願をしてくれるそうな。右がその金剛殿の隣にある水掛地蔵。


    本道に繋がる道中にあった門だの建物だの。


    本堂周辺の建物。手水場、朝日宝塔、水掛不動、天神社。


    聖天堂前の拝殿。


    さて、奥の院に向かうとしよう。門をくぐり、階段を登って最初に当たる文殊堂。文殊菩薩が納められとる。


    楽殿如意輪観音毘沙門天、吉祥天が納められている。


    観音堂。十一面観音が納められとる。


    遙拝所(ようはいじょ)。この建物の向こう側には般若窟に納められた弥勒菩薩を拝むため(これを遙拝というのじゃ)に建てられた。もちろん、般若窟へは立ち入り禁止ですよ。遙拝所に納められているのは、他に虚空蔵菩薩大日如来三宝荒神弁才天稲荷大明神役行者


    遥拝所の隣にあるうすさま明王。便所に祀られているね。ここのはシモの病気に霊験高らかなんだと。さらに奥へと進む。


    多宝塔。ここに西国愛染十七霊場の札所本尊である愛染明王が納められている。


    五社明神と大師堂。五社明神には宝山湛海律師が開山の際に手助けしてくれた神様が祀られていると看板があったが、詳細はわからん。その向かいにあった「南無宝山弁才天」と彫られた塚と、水掛地蔵。


    大師堂は、弘法大師地蔵菩薩が納められている。だからかどうか知らんが、遥拝所以降はお地蔵さんがズラーッと並んでいた。もう少しで奥の院だ。


    奥の院と手水場。かつては湛海が自ら彫った不動明王像も納められていたが、1853年(黒船来航!の年)に全て焼失してしまったという。


    奥の院右隣にある白龍弁才天社。その隣にある小さなお堂は…なんだったっけ?ちなみに、奥の院の裏手に大黒堂があるのだが、いい撮影ポイントがなかったので撮っていない。



    開山堂。湛海自身が彫った像が納められている。その奥には開山廟…墓がある。

  • 朝護孫子寺:神仏霊場巡拝の道・第三十番(奈良十七番)札所。山号信貴山。本尊は毘沙門天聖徳太子が反仏教派で仏教を崇拝するものに対して悪辣の限りを尽くしていた物部守屋を討伐すべく、蘇我馬子らとともにこの地で決起した。ここで勝利を祈願したところ、天上から毘沙門天が降臨し、勝利を約束してくれたという。そして見事に打ち勝ち、聖徳太子自ら毘沙門天像を彫り、この地に伽藍を創建した…と、伝承されている。正確な創建時はわかっていない。


    赤門と、その前にある巨大な張り子の寅。何で寅なのかというと、前述の毘沙門天が降臨した日時が寅年、寅の日、寅の刻だったという。


    朝護孫子寺には塔頭寺院がいくつかあって、そのうちのひとつである千住院護摩堂。俺が行ったときには護摩行をやっておりました。

    で、こちらが千住院観音堂(左の画像)と銭亀堂(右の画像)。さらに階段を上っていこう。



    次に参りますはこれまた塔頭寺院の成福院。左が融通殿で、右が三福神堂。何が祀ってあったかは…公式サイト見て(丸投げ)。


    成福院を過ぎてすぐにあるのが三宝堂。阿弥陀如来と、不動明王三宝荒神が祀られている。


    虚空蔵堂。


    経蔵堂。ここで釈迦の生涯が描かれた絵が見られたりする。

    さぁ、金堂も拝んだし、次は奥の院だ。…と思って、目指したのは奥の院でなく、空鉢護法堂であることを公式サイトで知る。

    空鉢護法堂の道すがらにあった、鐘堂、多宝塔、行者堂。手抜きだ。


    空鉢護法堂。どうも、ふもとで水を汲んで、それを祀られている竜神に御供にささげるシステムだったようだ。


    西日もさしつつあって、以降は駆け足になる。なのであまり撮影していない。これは塔頭寺院の一つ、玉蔵院


    開山堂。ここで四国八十八箇所のお砂踏みができる。ご朱印を押してくれたばーさまいわく、ここは金堂と同じ高さの位置に建っているという。

  • 法隆寺:神仏霊場巡拝の道・第二十六番(奈良十三番)札所。聖徳宗の総本山で、本尊は釈迦如来聖徳太子が建立した寺だということも、世界で最も古い木造建築だということも、日本初の世界遺産になった寺院だということも耳にタコであろう。また、この伽藍がむっちゃくちゃ広い!


    南大門から中門まで100mくらいあるんじゃねーか?この道も4車線くらいあるし、当時の栄華がいかなるものか想像に難くない。とりあえず、西日も差し出したので、主要な建物だけ回るとしよう。あ、ちなみに最初の画像は本尊が納められている金堂な。


    中門。国宝だべ。この中(西院伽藍という)に金堂、五重塔、大講堂がある(全て国宝だべ。ていうか、中にある仏像からなんやらほとんど国宝だべ)。ちなみに有料だぞ。


    金堂の隣にある五重塔


    大講堂は、俺が行った時には、工事が行われていて、トラスと防音シートで囲まれてる状態だった。しかし中は拝観可能で、薬師如来三尊像と四天王像は拝めたぞ。工事のほうは先日無事に終わったそうだ。


    西院伽藍の東側にある聖霊院。聖徳太子45歳の時の像が納められている。ここも国宝だべ。他にもこの置くには大宝像院があって、教科書で見たことあるだろう玉虫厨子やら百済観音像だの国宝が多数展示されているわで、短期間ではとても回れないし、ご朱印ゲットするだけでは大損だ。ここはいずれじっくり腰をすえて見て回りたいと思う。

  • 中宮寺:神仏霊場巡拝の道・第二十七番(奈良十四番)札所。山号は法興山(ほうこうざん)で、本尊は菩薩半跏像と称する如意輪観音。元々は、聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の住んでいた宮殿に建てた寺院として、現在の位置よりさらに東に存在していた。しかし、戦火やらで衰退し、戸時代初期に、慈覚院宮(後伏見天皇八世の皇孫尊智女王…まぁ、天皇の孫だ。)により今の地に移り、門跡尼寺(皇族や貴族が住職を勤めた尼寺)として再興とあいなった。


    本堂前にポツンとあったお社。鎮守社かしら?