清水寺ーぃ!

  • 清水寺西国三十三箇所・第十六番札所。山号音羽山で、本尊は十一面千手観音。33年ごとに開帳されるが、数年前の特別開帳に行って来たもんねー。つぎのご開帳は2033年!20年後だ!俺、還暦近い!

    では、縁起の方を。寺伝「清水寺縁起」によると、大和国にあった子島寺で修行していた賢心(後に延鎮上人となる)が、宝亀9年(778)に「北に向かって霊泉を探せ」と夢のお告げが下りる。そして音羽山にたどりつき霊泉を見つけ、そこで庵を結んでいた行叡居士(ぎょうえいこじ)の志を受け継ぎ、本尊の千手観音を刻んだことに始まる。
    その2年後の宝亀11年(780)、坂上田村麻呂が鹿狩りをしているところを賢心に咎められ、殺生に対する戒めと、観音様の教えを説かれる。田村麻呂は大層感銘を受けて、自らの邸宅を本堂として寄進した。
    後に征夷大将軍になった田村麻呂は延暦17年(798年)、本格的に伽藍を建造していき、清水寺は形成されていったのである。
    清水寺は、火災や戦災やらで、記録に残っているだけで、実に9回もの焼失を繰り返している。現在の伽藍は寛永6年(1629年)の火災の後、徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたものである。


    いわずと知れた清水寺世界遺産清水寺。京都観光のメッカですさかい、老若男女、国籍問わず観光客がごった返している。


    仁王門。平成15年に解体修理された。


    馬駐(うまどめ)。重要文化財。昔は馬で来た人はここに馬を繋いでいたのだ。


    桜は前の週に嵐があってソメイヨシノは完全に散ってしまっていた。八重桜はまだ早かったが、シダレザクラは満開だった。


    三重塔と西門。三重塔は昭和62年に解体修理、西門は平成5年に修繕されたという。


    鐘楼。平成11年に修繕された…さすが、客が途絶えないだけあって、堂宇も修理が行き届くのですなぁ。わけのわからいビル建てて景観損ねるよりは遥かによい金の使い方である。


    随求堂(ずいぐどう)。平成18年に解体修(ry。「胎内めぐり」という、真っ暗闇の地下を巡ること…戒壇めぐりとも言う…もできるぞ。


    経蔵。ここも平成12年に解(ry。時々展示会も行われていて、俺が行ったときには、反戦をテーマにした世界各国の絵本が展示(閲覧も可能)されていた。


    田村堂。平成18年に(ry。開山堂とも呼ばれる。奥の朝倉堂は現在修復工事中。


    本道につながる轟門。


    阿弥陀堂奥の院も修復工事中だった。


    清水の舞台から見た音羽の滝。あれが件の霊泉なのだ。


    地主神社。元々は清水寺の鎮守社だったが、明治の神仏分離以降は独立している。なので、オフィシャルサイトも異なる。縁結びとして超有名だが…なんつーか、ギラギラギトギト(爆)。

    そんなに広くない境内に所狭しと新たに建てられたと思われる摂末社が詰め込まれているので、さらにギトギト感が増す。あ、本殿と拝殿、そして総門は国の重要文化財だぞ。んで、神社自体も世界遺産なんだぞ。


    阿弥陀堂の隣にある、地蔵尊と釈迦堂。


    子安塔。今年、修繕が完了したばかりでピッカピカ。


    音羽稲荷神社と、近くにあった不動明王


    音羽の滝。寺を開くきっかけになった霊泉の水を飲みたかったが、すっげー行列が出来ていたので、やめた。


    音羽の滝の向かいにある寶徳寺。聖徳太子が42歳の時に彫ったと伝えられる阿弥陀如来像が納められている。

笈摺だけ満願したw。