三田界隈から

  • 観福寺摂津国三十三箇所・第十五番札所。「かんぷくじ」と読む。山号は光明山で、本尊は聖観音
    公式サイトもwikipediaもない。沿革が書かれた看板を元に書くとしよう。
    舒明天皇12年(640年)頃に法道仙人が開いたと伝えられる。当時の本尊は唐の僧・妙観が彫った十一面観音で、勝尾寺の本尊と同じ木材を使っていたという。
    貞元元年(976年)に地震で伽藍が大破するが、寛和元年(985年)に多田満仲多田源氏の祖・源満仲)が六坊の伽藍を復興し、高売布神社(たかめふじんじゃ)の別当寺になる。
    天文10年(1541年)に火災に遭い、全焼。翌11年(1542年)に、十倉城主森本備後守が再建に着手し、弘治2年(1556年)に伽藍は再興する。
    だが、明治18年1月18日にまたも火災に遭い、本堂と本尊を焼失。以降は庫裡を本堂にして、本尊を聖観音に替えて安置。本堂・大悲殿が再建されたのは、平成になってからだ。平成2年5月5日に落慶法要が営まれた。


    山門。天文17年(1548年)に再建された。県の重要文化財である。


    仁王像。棟札によると、運慶作だという。三田市重要文化財


    門しょの2。ご丁寧に摂津国三十三箇所の看板が付けられている。


    弘法大師像。この寺は真言宗大覚寺派である。


    なんかのお堂。大師堂か護摩堂だと思う。多分。


    庫裡と蔵。経蔵かもしれない。


  • 香下寺:「こうげいじ」と読む。摂津国三十三箇所・第十一番札所。山号は羽束山で本尊は十一面千手観音
    ここも、公式サイトやwikipediaがない。
    敏達天皇の時代に日羅上人がこの地で本尊を彫り、寺を開いたと伝えられている。昔は七堂十二坊の大伽藍だったというが、現在はのどかな山村にひっそりと佇んでいる。ちなみに、本堂は昭和55年3月に建て替えられた。


    駐車場の近くにあった八王子神社末社には何が祀られているのかは分からない。羽束山はハイキングコースとしても有名みたいだ。ググッたら、やたらそれ関連が出てくる。


    薬師堂。後で知ったが、羽束山頂上に観音堂があるという。


    いい感じに風化した石仏。右から聖観音弘法大師かしら。



  • 普明寺摂津国三十三箇所・第十二番札所。山号は慈光山。
    前述の観福寺再建にも携わった源満仲の四男・源頼平が出家し、律師満照(りつしまんしょう)となって、天禄元年(970年)に開いたと伝えられる。長徳年間(995〜999年)の頃には一条天皇から勅願寺として寺領を賜ったそうだが、鎌倉時代には衰退し、廃寺同然になってしまう。
    寛文年間(1661〜1672年)の頃、景福寺の住職だった南室存向なる僧が曹洞宗の寺として(それまでは真言宗だった)再興するが、慶応2年(1866年)火災により焼失。一時は近くにあった八幡宮寺金福寺を廃して、そこを普明寺にしていたが、明治12年に現在の地に移り本堂を再建。現在に至っている。


    山門はない。石碑があるのみ。


    鐘楼。梵鐘は昭和51年に寄贈されたのか。


    なんかの祠。


    律師満照御廟。天元元年(978年)に円融天皇の勅で、藤原仲光・幸壽丸父子の霊を傍らに祀っている。まわりの墓地がやけに綺麗に整備されていた。「♪フォーエーバーコーミューニケーション加登ー(CMソング)」が関わっていたのか。加登は関西ではCMソングやっている墓地運営会社である。