一乗寺と圓教寺
- 一乗寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:一乗寺参照。):西国三十三箇所・第二十六番札所。山号は法華山で、本尊は聖観音。
一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説がある。そこで蓮の形をした山を見つけて、ここを法華山と名づけて聖観音像を祀った。法道仙人は、食べ物を恵んでもらう際に法力で鉢を飛ばしていたことから「空鉢仙人」とも呼ばれとったと。
その噂を聞いた孝徳天皇は、病気平癒を願ったらたちまち治ったので、白雉元年(650年)に勅命を奉じ、金堂を建てさせたのだ。
一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っており、現在の本堂は、姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。
本堂、三重塔以外の伽藍は前回ほとんど撮ったので、塔頭寺院あたりを撮るかな。
粟島堂。夥しい数の水子地蔵が納められている。
歓喜院は閉まっていた。
隣聖院。
地蔵院。本坊でもあるという。
石造笠塔婆。昭和48年に県の重文になっとる。
なんかいかつい灯篭。
三重塔。一乗寺に来たら、みんな必ず撮るぞ(ウソ)。承安元年(1171年)の建立で、国宝だぞ。
本堂の天井には、千社札が打ち付けられているのだ。
- 圓教寺:西国三十三箇所・第二十七番札所。山号は書寫山で、本尊は如意輪観音。
康保3年(966年)、性空(しょうくう)上人が、この山に庵を結んだことに始まる。性空は皇族や貴顕(地位も名もある人のこった。)からの崇拝が篤く、中でも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)来山して圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進。性空はこの寄進をもとに大講堂を建立したという。花山法皇以外にも、後白河天皇・後醍醐天皇など多くの皇族からの行幸や勅願を賜り、現在の大伽藍に繋がるのである。
そう、むっちゃくちゃ広い!アホみたいに広い。前回行った時でも撮りこぼしていたくらい。しかもこれでもまだ全部でないのだ…。あ、画像は仁王門。寛文5年(1665年)に建てられて、昭和43年に県の指定文化財になっている。
石造笠塔婆。延慶4年(1311年)に造られた。昭和57年に県の指定文化財に(ry。
弁慶がお手玉をしたと言い伝えられる護法石。この石の上に乙天と若天の二人の童子が降り立って、寺門を守ったという。
摩尼殿から食堂へ向かう道は二通りあって、今回は山道を歩いてみた。最初に遭遇した祠。何を祀っているのかは忘れたw。
稲荷社。この後ろには赤い鳥居がいくつか並んでいた。
結構きつめの山道を歩かされて…
白山権現に辿り着く。性空が来る前から、書寫山には素盞嗚命を祀っていたという。
白山権現の左隣にある、日天龍八王神。
山道抜けてのこのアングル。
お約束の、大講堂、食堂、常行三昧堂である。
姫路城の城主であった本多家の墓所。元徳3年(1331)の大火で焼失するまで、ここには五重塔が建っていたという。
前回来た時は改修工事中だった奥の院も、改修が終わっていた。
しかし、今度は乙天社と若天社が改装工事をしていたのであったorz。
徳川家康の孫にあたる松平直基の墓。
鐘楼。釣鐘は元亨4年(1324年)に鋳造された、姫路市内では最も古い釣鐘と言われている。
法華堂。
塔頭の一つ、十地院(じゅっちん)。
これまた塔頭の瑞光院。紅葉の撮影スポットとのこと。
大黒堂。
あと一箇所で満願でございます!