和歌山制覇!その3

その1その2
さて、次は粉河寺だ。ここも前回赴いた時は曇天で夕方頃だったので、本堂くらいしかまともに見なかったので、塔頭寺院もチェックしていきますぞ。


  • 粉河寺西国三十三箇所・第三番札所。山号は「風猛山」。「ふうもうざん」とも、「かざらきさん」とも呼ばれる。本尊は千手千眼観音で、2008春〜2010年春にかけて、花山法皇一千年忌を記念した西国三十三箇所霊場の観音の一般公開(ご開帳という)にも参加しなかったほどの、秘仏の中の秘仏である。


    山門。でかいぞ!赤いぞ!感想それだけかい!


    山門をくぐる前にある堂宇。左より善光寺地蔵堂蛭子神社


    門をくぐって、土産物屋のはす向かいにある不動堂。弘法大師爪刻不動尊を奉っているんだと。


    子育地蔵。


    羅漢堂。


    童男堂。千手千眼観音がその姿を変えたといわれる童男大士を祀っている。


    念仏堂。光明殿とも呼ばれる。阿弥陀如来を納めている。


    太子堂聖徳太子を祀っている。ガキンチョが書いたと思わしき聖徳太子の絵が供えられいたのが微笑ましかったり。

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    中門。四天王(廣目天、増長天持国天多聞天…よし、何も見ないで書けたぞ・笑)が安置されている門ってのは珍しいのでは?大門よりはこっちの方が俺好みかな。「風猛山」と彫られた看板がいかつい。


    丈六堂。阿弥陀如来が納められている。


    六角堂。紀三井寺にもありましたな。西国三十三箇所の観音が納められている。


    千手堂。千手観音と、歴代の紀伊藩主やその縁者の位牌が納められている。前述のご開帳の際は、ここに納められている千手観音像が公開されたのだが、このお堂の千手観音もまた秘仏中の秘仏で、今回のご開帳は、217年ぶりだという!

これで予定していた寺社は、一通り巡礼したぞ。なんとなく、24号線で走っていない区間を走破したくなる。京都市奈良市和歌山市粉河寺までは走っているので、残りの区間を。ならば、神仏霊場の札所が24号線沿いにいくつかあるから、そこも巡礼すれば、和歌山県の札所は制覇できるがな。カーナビでルートを調べたら、割と近いな。よし、行って見ますか!ってんで、残りの札所もお参りすることにした。


  • 丹生都比売神社:「にうつひめじんじゃ」と読む。神仏霊場巡拝の道・第十二番(和歌山十二番)札所であり、世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。祀られているのは、本殿右より第一殿・丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、第二殿・高野御子大神(たかのみこのおおかみ)、第三殿・大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)、第四殿・市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)。本殿左端にあるのは若宮で、行勝上人が祀られている。第三殿と第四殿に歓請した(ようするに神様を招いた)方である。楼門の立派さはとても山奥にあるとは思えない(失礼)位に圧巻で、昔は高野山に上る際は必ずここにお参りにくると言われてたから、その活況さを思い起こさせる。境内社など。


    鳥居、輪橋、手水舎。これまた山奥にあるとは思えない(失礼)立派さ。


    佐波神社。明治時代に、この神社がある地区の神社を合祀した神社。

さらに峠道を越えて、慈尊院にむかうのだ。

  • 慈尊院(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:慈尊院参照):神仏霊場巡拝の道・第十番(和歌山十番)札所であり、世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。山号は「万年山」で、本尊は弥勒菩薩。国宝で、21年に1度しか見られない秘仏である。本堂も重要文化財ですぞ。伽藍の狭さでなめてたらえらいことになる(笑)。
    弘法大師ゆかりありありの寺で、弘法大師高野山を開いた後、彼の母親・阿刀氏もそれを見たかったのだが、当時は女人禁制故に入れなかった。んで、母親は亡くなるまでここに住んでいたと(当時は寺でなく、政所といって、高野山の玄関口だった)。弘法大師も九度ここまで降りてきたことから、ここの地名が「九度山」になったと言われている。母親の死後、崇拝していた弥勒菩薩とともに祀ったことで、弥勒菩薩の別名にちなみ、慈尊院となった。女人禁制が解かれるまでは、女性は高野山に入る代わりにここでお参りしていたという。


    もちろん、大師堂もありんす。この隣に多宝塔があるのだが、そちらは工事中で防音シートで囲まれていた…。


    大黒・稲荷堂。そのまんまです…。

そのまま、隣接している丹生官省符神社に向かう。

  • 丹生官省符神社:神仏霊場巡拝の道・第十一番(和歌山十一番)札所であり、世界い(ry。祀られているのは、本殿右より第一殿・丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)、天照大御神、第二殿・大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)、誉田別大神(ほんだわけのおおかみ)、尼児屋根大神(あまこやねのおおかみ)、第三殿・市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)、合祀大神。合祀された神は以下の通り。

雨宮神社、丹生神社、金毘羅神社子守神社八幡神社、稲荷神社、蛭子神社、大黒天神社、厳島神社2社、飯炊神社、早苗降神社、八王子神社天満神社、伊勢神社

界隈に在った神社(村社という。)を合祀したのだろう。ちなみに和歌山県は明治時代、神仏分離に特に力を入れていて、村社はほとんど駆逐されたかのごとく合祀されたという。境内社はこれだけ。

招魂社。四條畷神社で知った、明治時代以降に、戦死者はもとより、国家の為に亡くなった人達(多くは軍人だ)を祀っている神社。その線引きが微妙ゆえ、もめる。素直に戦没者を皆祀ればよいのだ。
あぁ、神社の説明するのを忘れた。この神社は先述の慈尊院の山上に鎮守社として弘法大師によって創建されている。祀られている高野御子大神が狩人(狩場明神)となって、白と黒の2匹の犬をお供に弘法大師高野山へ導いてくれたという伝説がある。今や車なり電車で高野山に登れるが、そこをあえて徒歩で高野山を登りたい!というハードコアな人の登山口としても有名だ。パンフレットによれば、ここから奥の院まで徒歩で約8時間(爆)。

こ、これで神仏霊場巡拝の道『和歌山・清浄の道』制覇セリ!