槇尾山。

槇尾山に参ってきたのだ。槇尾山に行くのは二度目。よしんば、大先達になるとしたら、あと4回は行かねばならない。道中、いっつも工事していてなんでやろと思っていたら、今、ダム工事をしているのな。なんで山の高い則面に高架道路があるのやろと思っていたが、今走っているところがダムの底になるみたい。とはいえ、施福寺に参拝する際に麓からテクテク歩くに変わりはありませんが。


駐車場前にある万願寺不動堂と、千体地蔵尊堂。この近くには、弘法大師が滝行をしたという満願滝というのもあるが、俺が行った時は門が閉ざされていた…。

ここが入り口。ここからひたすらテクテク歩くのである。

山門の前にある十三塔とお迎え観音。

山門。裏からとったら、思いっきり暗いんでやんの。

そして、山門を抜けると、それまでのコンクリートの舗装路でなくなる。

姿見の井戸。弘法大師が覗き込んで、自分の顔を見たといわれている。もちろん、俺も見た。ちゃーんと顔は映ってましたよ。


山道を歩くとある建物。唐破風があしらわれているから、この寺に関連した建物だろうか。

あれ?この辺に大日堂があったはずが…なくなってるやん!俺が行った時は屋根の一部が崩落してて、立ち入り禁止状態だったが…

これらがその残骸であると言うことか…。寺に聞いたら、本尊の大日如来は本堂に保存しているそうで、建てかえる意思もあるそうだが…いかんせん先立つ物が…というわけか。

先を急ごう。鉄製の手摺がついた階段になってきた。本堂は近いぞ。その前に愛染さんを拝んでおかないとな。…て!

改修工事中て!ここまで来て…まさしくorzである。

というわけで、現在改装中ですが、ここが西国愛染十七霊場・第十五番札所の剃髪所跡こと愛染堂です。ここで弘法大師が髪を剃り、得度したという。

んで、その髪を納めた御髪堂が近くにある。

左が和泉チャイルド幼稚園が寄進したと思われる、十一面千手観音像。園児は毎年ここにハイキングに来ているのだろうか。右が手水場。
はい、ようやく本堂です。

  • 施福寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:施福寺西国愛染霊場などを参照。): 西国三十三箇所・第四番、西国愛染十七霊場・第十五番、そして神仏霊場巡拝の道・第五十二番(大阪十一番)札所。山号槇尾山。本尊は弥勒菩薩だが、札所本尊の十一面千手観音弥勒菩薩文殊菩薩の三尊という扱いでもいいだろう。
    欽明天皇の時代、行満上人の開基によって開かれたこのお寺も、かつては隆盛を極めていたそうだが、織田信長によって焼き討ちされてしまって以降は、かくの如きこじんまりとした伽藍となっている。


    馬の像。西国三十三箇所を中興した花山天皇が、粉河寺から施福寺に行く際に、あやうく遭難しかけたところを、馬の鳴き声に導かれてここにたどり着いたという伝えがある。その馬こそが馬頭観音の化身で、本堂の裏手に馬頭観音が祀られているわけである。初代・馬の像は大正時代に建てられたが、戦時中の金属供出で持ち出され、現在の銅像は昭和38年4月に建てられた2代目である。


    そういえば、朝から何も食ってなかったので、ここにあるお茶屋できつねうどんを食う。槇尾山はハイキングのメッカらしく、中高年の常連さんが大挙いらっしゃるようで、「○○さんいらっしゃーい」といった会話が飛び交っていた。お茶屋のおばちゃん曰く毎日登っている人も多いとか。


    知恵如来なる石仏。


    左が救世観音、右が六道観音。仏光平等会なる団体が昭和57年10月18日に寄進したそうだが、詳細はよくわからない。まぁ、西国三十三箇所のお砂踏みができますわ。


    左から、鐘楼、不動明王護摩堂、大師堂…なんだが、どうも使われている形跡が見当たらなく、護摩堂には本尊すら置いていない!どうなってんだ?おい。

個人的に、三十三箇所中、本堂以外は古刹というより単に建物がボロかったりする施福寺。入山料や駐車料金がタダだけでここまでちがうのか…なんてことは余計なお世話だ。


  • 瀧谷不動明王寺:近畿三十六不動尊霊場・第三十二番札所。山号含めた正式名称は「瀧谷山 明王寺」だが、「瀧谷不動尊」で名は通っている。本尊はもちろん、不動明王
    槇尾山から下りてから他も巡ろうとしたが、足ガクガクでまともに回れそうにない。なので、本堂だけ参ったあと、ご朱印もらってそのまま帰った。次回あれば全ての堂宇回る。