ぽつんと、三重。

  • 神宮寺西国薬師四十九霊場・第三十五番札所。山号を含めた正式名称は「丹生山神宮寺成就院」。本尊は弘法大師である。「丹生大師」という愛称で地元で知られ、女人高野のお寺でもあった。昔は女性は高野山に入れなかったので、代わりにお参りするための寺がいくつもあったのだ。
    寺伝によると、宝亀5年(774年)光仁天皇の勅願によって勤操(弘法大師の兄弟子とも言われる)が開山したという。その後時を経て、弘仁4年(813年)に大師が伊勢へ参る途中、この寺に訪れ、
    オフィシャルサイトによると「我は高野の聖地に、真言密教の根本道場を創立する誓願を建てているが、まずこの地に諸堂を建立し、庶民の苦悩を救わん」と言われたそうで、後の弘仁6年(815年)に七堂伽藍(不動堂・鐘楼堂・閣魔堂・地蔵堂観音堂・薬師堂・大師堂)を建立した。
    丹生大師と呼ばれるようになったのは江戸時代以降である。丹生というのは水銀のことで、この寺の山号の通り、かつては水銀鉱山があって大層栄えたという。「丹」は赤色の古い言い方で、鳥居の赤や朱肉の赤は水銀から作られていたのだ。水銀って言うまでもなく猛毒やけど、エジプトの王家なんかでは長寿の薬として使われていたこともあるという。想像するだけであばばばば!


    やけに立派な仁王門。正徳3年から享保8年(1722〜23)に建立されたという。


    弁天堂。


    閻魔堂経蔵。明和3年(1771年)に建立。閻魔像は元清という木喰僧が彫ったという。


    吊鐘堂。


    不動堂。東海三十六不動尊霊場でもあるそうで。


    竜王


    なんかご神木。


    薬師堂。ここが西国薬師四十九霊場・第三十五番札所である。


    本堂に三十三観音があった。


    本堂の左隣にある六地蔵堂。


    文殊堂。


    大師堂。じつはこっちに本尊の弘法大師像がある。


    稲荷社。


    八十八箇所の仏像が並ぶ。ここでお砂踏みでける。


    洞穴にある役行者像。


    丹生都姫神社。


    太子堂聖徳太子が祀ってあるのか。

ご朱印ゲットの際に、丁度この日は秋季会式の準備だったらしく、なんか柿やみかんもらった(笑)。
いよいよ、西国薬師もあと二箇所で満願だ!