中山寺→吉峯寺→花山院

西国三十三箇所・第二十四番札所の中山寺に行く。この文を書いているときに、阪急中山駅が12月21日に「中山観音駅」に改名していたことを知った!ぜんっぜん気付かんかった!

大師堂へ登る階段が封鎖されとった。見ると、大師堂の下に五重塔を再建するという。

工事の進捗状況も、大師堂から見られる。まだ基礎工事も終わってない状況だった。現在改修中の奥の院へ行こうと思ったが、やめた。

んで、善峯寺行ってるし。



善峯寺は、西国三十三箇所・第二十番札所。
寺伝によれば、長元2年(1029年)、源信の弟子にあたる源算が創建したという。
…あり?花山法皇が亡くなったのが1008年だから、つまり、亡くなってから出来たってことじゃん!…まぁ、なんつーか、ぶっちゃけ、花山法皇が行ったルートってよくわかっていないんだよなぁ…だから、昔の記録とか見たら、一応寺は確立されてっけど、順番はバラッバラなのな。今のルートに確立される前の資料としては三井寺にいた僧、行尊と覚忠のルートが有名だ(このPDFの15ページ目)。
ぱっと見て、なるほど、わからん!だが、よーするに、12世紀頃に後白河天皇が熊野詣にハマっていたのと、花山法皇那智山で修行していたという伝承とがうまくマッチして、それまで長谷寺が一番札所だったのが、青岸渡寺が一番札所に変わっていった、とだけ覚えておこう。

wikipediaによると、15世紀頃に今のルートが確立されたそうな。

源算が創建後、長元7年(1034年)には後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜って、鎌倉時代初期には後鳥羽上皇によって寺号が善峯寺と改められた。
応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したのち、江戸時代になってから桂昌院の寄進によって再興されたというわけ。

花山院にも行ってきた(オフィシャルサイトがなくなったのでwikipedia:菩提寺_(三田市)参照)。

いつものように山門と本堂撮りましてな。

びんずるさん撮ってなかったから、撮りますた。