高野山だ!

今日は高野山へ行ってきたのだ。まずは酷道ネタを。
大阪方面から高野山へ向かうには国道371号線か国道370号線の2つしかない。いずれも負けじ劣らず(?)の酷道として名をはせている。俺は特に酷道である371号線を通りたかったが、なんと高野山方面が土砂崩れで通行止めだという!下記画像は和歌山県道路情報より。

ちなみに、土砂崩れが起きたのは、3月2日。追記した4月28日現在もまだ復旧しておらず、そのメドも立っていない。仕方がないので、370号を通ったわけだが、俺の前がバスであった。1.5〜1.8車線のカーブの多い峠道。もちろん追い越しもできないし、あげく対向車もバンバン通る。バスも3回くらい離合したし。カーナビを見ると、カーブが延々と続いて萎える。こんな状況でマグマの「コンタルコス」なんか聞くものじゃない(笑)。
結局、朝8時に家を出て、舞鶴若狭道中国道阪神高速→阪和道と高速を使っても、松原市以降は国道しかない故に、ついたのがお昼前だった。
さ、寒い!何だこの寒さは!?家を出るときは暑くて着る気もなかったレザーコート持ってきて正解だった。小雨もぱらついていて、余計寒さが身に染みてくる。道路にあった温度計をみたら、下界(ていうべきか…)よりも6℃くらい違っていた。今日は暑いって言ってたはずだが、ここではそんなの関係ないくらいの寒さだった。いきなり高野山と他所との違いを垣間見る俺であった(か?)。


  • 総本山・金剛峰寺高野山真言宗の総本山である。「こんごうぶじ」と読む。ここで押してくれるご朱印は神仏霊場巡拝の道・第十三番(和歌山十三番)と、四国八十八箇所番外札所だけなのじゃ。ちなみに、ここは本堂ではない。元々は豊臣秀吉が母の髪を納める為に建てたものだ。ちょっとはなれたところに本堂である「金堂」があるのだが、それを知ったのは今さっきだ!「なんで、ここには仏像がないんじゃ?」と思ったのはそういうことだったのだ。

中庭の枯山水…これのすごさがわからない。

西国三十三箇所の番外札所もここでなく、ここから数キロはなれた奥の院にある。それは車でないと行けそうにない。さらにいくつかの寺は西国薬師四十九霊場、近畿三十六不動尊霊場、西国愛染十七霊場の札所なんだが、これは歩いていけない距離でもないな。テクテク歩いて周りますかな。




  • 高室院(サイトもWikipediaもないのでこちら参照):西国薬師霊場・第十一番礼所。北条家の菩提所ということで、「小田原坊」という通称もある。あ、以下の寺院(ていうか宿坊か)は山号は全て高野山だから省略ね。本尊はもちろん薬師如来(醫王如来(いおうにょらい)ともいうそうな)。



  • 金剛三昧院:西国愛染十七霊場・第十七番札所。修復工事の真っ只中で、本堂の中に入れなかった。残念。受付の坊主、とりあえず哀川翔メガネはやめといた方がいいぞ(笑)。




このあと、福智院に行ったが、今お勤め中との事で1時間後くらいに来てくれと。連絡先が掲載されているので、パンフレットを渡された。



  • 明王院:近畿三十六不動尊霊場・第三十五番札所。日本3大不動のひとつである赤不動がある…とサイトには書いてある。



  • 金剛峰寺・奥之院 :福智院に行く時間に間に合わせたかったので、写真を撮る間がなかった。しかも建物の手前階段から先は撮影禁止なので、ローアングルをご勘弁願いたい。入り口から弘法大師がいらっしゃる(弘法大師は今もここで禅行を行っている(つまり死んでない)ということなので、便宜上こう使わざるを得ない。)奥之院の間の道には数多くの戦国武将、著名人の墓が並んでいる。列挙するのも面倒なくらいに。豊臣秀吉伊達政宗武田信玄などなど。何故か俺が覚えているのは、江崎グリコの社長や南海電鉄創始者だったりする。
    あ、ここが西国三十三箇所・番外札所ですぞ。急ぎ足で駐車場へ戻り、福智院へ。



  • 福智院:西国愛染十七霊場・第十七番札所。寺院の中の庭は、庭園家・重森三玲が手がけたという。いや、NHKのなんかの番組でこの人の名前を知ったから、使ってみただけなんですが。

…あー、次からは高野山へは電車で行こ。寺院がむちゃくちゃ多いが、そのほとんどが「宿坊」といって宿泊施設のあるお寺なので、全部お参りたい人は泊りコースだな。値段は1泊2食付きで一人10000円前後が相場。