薬師寺やら。


  • 薬師寺西国薬師四十九霊場・第一番札所、ならびに神仏霊場巡拝の道・第二十五番(奈良十二番)札所。山号はない。法相宗大本山であり、本尊はもちろん、薬師如来。680年に天武天皇の発願によって建立されたお寺。元々は飛鳥の藤原京周辺に建てられていた(「畝傍御陵駅」でGoogleマップ用いるか「本薬師寺」でググればよい)が、平城京が遷都してから今の地に移った。
    しかしそのあと、戦災や大地震やらでいろいろござぁまして、現在のような伽藍になったのが、実は昭和になってからなんですなぁ。上の画像である金堂も実は1976年に建てられたもの。それまでにも仮金堂があったのだが、それは現在興福寺に移転している。

    駐車場を出て最初にある休ヶ岡八幡宮薬師寺の鎮守社である。まずここをお参りしてから薬師寺に参拝するのがデフォルトみたい。祀られているのは、僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)、神功皇后、仲津姫命(なかつひめのみこと)。


    休ヶ岡八幡宮薬師寺の間にある、孫太郎稲荷神社。


    南門。1650年に西院の西門を移築した。


    中門。1984年に再興された。サイトによると、1528年の戦火で金堂、講堂、西塔、そして中門が焼失したという。

    中門周辺に、いろいろお社があったので、それも見るか。


    若宮社


    弁天社


    平木大明神


    東塔。いくつもの戦火や天災にも耐えた、建立以来唯一残っている堂宇。今後、2019年まで解体修復工事が行われるそうなので、見られたことが貴重なのだ。


    西塔。東塔の真向かいにあり、1981年に建てられた。


    大講堂。薬師寺内では最も新しい建物で、2003年に完成した。1995年までここに仮講堂があったのだが、その仮講堂も1852年に建てられたものだという。


    東僧坊と、その手前にある鐘楼。1934年の台風で倒壊し、1937年に今の場所に移った。


    東僧坊を抜けて、テクテク歩くとあるのが、玄奘三蔵院。西遊記でおなじみの三蔵法師だが、薬師寺の宗派である法相宗(ほっそうしゅう)の始祖でもあるんですな。戦争中に日本軍が南京で発見した玄奘三蔵のご頂骨(と、サイトには書かれているが、ようするに遺骨だ。)を祀るために1991年に建立された。


    玄奘三蔵院から見た本堂と、テキトーに撮った(おいおい)本堂と東塔。


    東院堂。1285年に建立された、薬師寺では二番目に古い建物。


    竜王社。


薬師寺をあとにしたら、ちょうどお昼だ。道すがら、「しゃばとん」なるラーメン屋に遭遇。ここはかの「無鉄砲」系列の店だ。

俺が食った「豚そば肉増し」はあくまで無鉄砲基準であっさりしている。そこいらのとんこつラーメンに比べればはるかに濃厚だ。そして、無鉄砲との大きな違いが、もやしやキャベツが入っている点だろう。それがいい具合に後半につれて生じてくる重さを相殺してくれたのか、結構盛りが多くてもするする入っていたなぁ。今度はまぜそばに挑戦してみるか。さて、次は唐招提寺




  • 唐招提寺:神仏霊場巡拝の道・第二十四番(奈良十一番)札所。ここも山号はない。律宗の総本山で、本尊は廬舎那仏。
    鑑真が建てた寺というのは、説明不要だろう。鑑真が来る前にも仏教は伝わっていたけど、戒律(まぁ、坊さんが守らなあかんルールと言えばいいか。)は不完全で緩かったのな。だから、税金逃れに出家する輩が横行していたという(当時は仏僧は免税されていたのだ)。んで、出家するための戒律(当然、今までよりも厳しいのは想像に難くない)を確立したのが鑑真なのだ。
    おもいっきり噛み砕くとこういうわけだが、それまでの道のりがすさまじかったことも義務教育受けたものならわかるだろうが、それは自分で調べよう。さて、他の建物を見て歩こう。


    南大門。


    弁天社。隣には池があって、蓮の花が…まだつぼみでした(笑)。


    本道の西にある戒壇。ここで受戒という、出家の儀式を行っていた。


    本堂と戒壇の間にある鐘楼。このあたりにはかつては「西室」という僧坊があった。


    本堂裏の講堂。


    鼓楼。鑑真が唐から持ち込んだ仏舎利が納められている。


    なんかお社があった。案内を見たら、訶梨帝女社とある。鬼子母神を祀っているのか。この向かいに、御影堂や地蔵堂などがあるが、普段は非公開。御影堂には教科書で見たことあるであろう、鑑真の像が納められているのだが、毎年6月5日〜7日の3日間(鑑真の命日とその前後にあたる)しか見ることができない。


    開山御廟。鑑真の墓である。


    左が宝蔵で右か経蔵。画像ではわかりづらいが、宝蔵の方が大きい。正倉院でも有名な校倉(あぜくら)造りの建物で、経蔵は唐招提寺で最も古い建物だ。


  • 西大寺:神仏霊場巡拝の道・第二十三番(奈良十番)札所、ならびに西国愛染十七霊場・第十三番札所。三号を含めた正式名称は「勝宝山 四王院 西大寺」で、本尊は釈迦如来。上の画像が本堂で、下が愛染堂。
    765年に孝謙上皇の勅願で建立された。初代住職は常騰(じょうとう)。奈良時代にはは東大寺と双肩を並べる程の伽藍を誇っていたが、平安時代に衰退。鎌倉時代叡尊(えいそん)が再興し、現在に至っている。
    とはいえど、伽藍は江戸時代以降にできたものではあるが。


    駐車場の向かいにある東門


    東門入ってすぐにある四王堂。納められているのは十一面観音立像と、創建当初からある四天王像。


    四王堂から西へテケテケ歩くと本堂右隣にある護摩堂。扁額に「不動明王」って書いてあったから。


    本堂を過ぎ、さらに西にテケテケ歩いた突き当りが愛染堂。画像はその右隣にある大黒堂だ。真言を書いておくか。「オン・マカキャラヤ・ソワカ


    鐘楼。