やっと着いたよ、天川村。

これ書いたのは5月16日。さらに追加したのが5月22日と24日。

昨日のバーべQで酔いつぶれて、目が覚めたら午後10時。眠れそうにもないので、PCに向かい東大寺酷道308号線のレポの続きを仕上げる。だるい。今日は天川村へ行こうと思っているのに…しかも天気予報は「奈良県南部 全般に雨」という。コンディションは最悪。でも、行くことにした。
なんでそこまで天川村に行きたいと思うのか俺でもわからない。前回雪で断念したせいもあるが、別にパワースポットだのそんなスピリチュアル云々なんぞ信用していないし。神はいるにはいるだろうが、それに何とかしてもらおうというドラえもんに縋るのび太的な考えもない。結局は傍観者にすぎないし、道徳観の拠り所のひとつに過ぎないと思っている。でも、そこに足向けるからにはそれなりの対価を期待する自分もいたりする。なんだこの自己撞着?だらだらと書いた。
朝4時に家を出る。ついでに酷道309号線を走るとしよう。高速で阪神高速なんば出口から国道25号線を経て309号線に入る。下の画像は入り口。

ひたすら南下して行く。県境当たりでとうとう雨が降り出した。一度走った道だし、着雪もないので、嘘みたいに快走できる。前回引き返した地点で再び撮影。

前回と比べると一目瞭然ですな。

天川村に着いたときには雨ももう本降り。傘用意しとけばよかったなぁ。半年近くかかってようやく天河神社にたどり着いた。

  • 天河神社:弁財天(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)ともいう)が祀られているのはご存知の通りだが、熊野坐大神、吉野坐大神、南朝四代天皇の御霊(後醍醐天皇後村上天皇長慶天皇後亀山天皇)、神代天之御中主神より百柱の神が本殿には祀られとる。
    もっと詳しく知りたい人はwikipedia:天河神社参照。

    天河神社特有の鈴。五十鈴という。天岩戸にこもっていた天照大御神が出てくるきっかけになった神器である…そうな。鳴らしてみると、ガロンガロンと重い響き。本殿に近づきたかったが、ここから先はご祈祷受ける人だけが入ることが許されるのだ。残念。
    数十秒間、本殿を見つめる。不思議と体のだるさがスーッと取れていく…気がした。

    階段を降りた中腹にある摂末社。奥から大地主大神、天神大神(菅原道真のこと)、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ。天照大御神のこと)、大将軍大神、龍神大神が祀られている。その手前にあった四方を柵で囲まれた石は、天石といわれている。境内にいくつかあるが、雨も降っているし、やめた。

もっといたいが、今回も各所ご朱印集めを行うので、ここを早々とあとにした。次は洞川(どろかわ)温泉郷にある龍泉寺にむかうぞ。

この龍泉寺の先には、大峯山寺がある。断崖絶壁から半身を乗り出して、山伏が「親孝行するかー!」とかやりとり(?)する場面をテレビで見たことがある人も多いだろう。それをやっているのがここ大峯山寺だ。女人禁制で、しかも標高1800メートルの山頂(もちろん徒歩でしか行けない)にあって、おいそれと行ける訳ねーだろ!相当の気合と準備を要するから、次回にまわす。登る気?
さて、次は…丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)を3社とも廻ろう。このうちの2つが神仏霊場巡拝の道に含まれているのでな。
丹生川上神社の本社へ向かおう。ナビで検索したら、国道309号線→国道169号線経由かと思ったら、天川村から見て手前の県道48号線を進む。このままでは沿いにある丹生川上神社下社を通らない。先に下社に行けばいいものを、行者還トンネル以東の林道を通リたいなどと考えてしまった。どうしたかって?そのまま48号線にのって国道169号線を抜け、丹生川上神社丹生川上神社上社国道309号線で最酷道区間である旧行者還林道→また天川村丹生川上神社下社というわけわからんルートを走ったのだ!うわー無駄!
で、県道48号線を通ったのだが、じつは、ここ奈良県でも屈指の険道で、吉野山に抜ける257号線と共に、激しいヘアピンはないにしろ、合流不可能な1車線の悪路がえんえん続く。まだ、ガードレールが比較的多いのが救いだ。あとで知ったが、さっき行った洞川温泉郷とも繋がっているのね。遠回りしてもうたなぁ…。

てか、トンネルでもないのにポイント外れるって、どんだけ山深いのよ!
対向車にひやひやしつつも吉野山を抜け、国道169号線に合流。しばらく南下して、丹生川上神社に着いた。

  • 丹生川上神社:別名「丹生川上神社中社」神仏霊場巡拝の道・第四十一番(奈良二十八番)札所。二十二社の一つ。拝殿の奥に本殿、東殿、西殿とあるが、東殿、西殿は壁に遮られて何も見えない。オフィシャルサイトの空撮でようやく把握する。祀られている神は以下の通り。

次は丹生川上神社上社だ。

  • 丹生川上神社上社(オフィシャルサイトがないので、こちらこちら参照。):神仏霊場巡拝の道・第四十番(奈良二十七番)札所。二十二社の一つ。ダム建設のため、今の場所に移ったのは1998年、なのでピッカピカである。祀られているのは、高龗神(たかおかみのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、大雷神(おおいかづちのかみ)である。
    納経所に行ったら美内すずえガラスの仮面で有名な漫画家ね)のサイン色紙が飾られていた。スピリチュアル系にどっぷり浸かってしまっているとは聞いているが、こんなところにまで来ていたのか!

では、最後に丹生川上神社下社へは、いちいちまた天川村に戻っていったのである。そう、酷道309号線のクライマックス区間である旧行者還林道を通るために。

国道309号
http://route01.com/r309a.html

国道169号線を南下し、309号線を指し示す…看板の類ではない。画像はないが、ボロボロのガードレールにスプレーで→天川村と書かれ、国道をあらわすおにぎりステッカーがあるのみ。うーん、すさまじい。

大型車は通れません。他にも「離合困難」「狭隘路」など煽り文句がずらずらと並んでいた。

少し走っていて見かけた倉庫。この先わたらい渓谷の茶屋まで建物の類は一切なくなる。もうしばらく走っていたら、ゲートがあった。ここから行者還トンネルまでの区間は冬季通行止めになる。

画像を見ただけではわからないだろうなぁ。ヘアピンカーブの連続で狭いのは慣れてしまったが、道沿いはほとんど岩肌むき出しの崖ばかり。申し訳程度に落石防止ネットが張ってあるが、それも場所によっては破れているし、小石が道端に散らばっている。相当大きな落石を受け止めたのだろう。ガードレールはベッコベコに歪んでいるのが多く見受けられた。路面状態?書くまでもない…何度も道を横断する溝蓋を跨ぐが、崖からの湧き水を流す。この上でブレーキしたら、間違いなくスリップだ。
おまけにこの区間を走ったとたんに雨脚が強くなる。余計不安をあおらせられたが、ナメゴ谷あたりから遠くに眺めると…
何箇所か地すべりしとる…あんなんが来たら…200%死ぬ…背筋が一気に凍りつく。



命がけの状態(大げさな)のなかにも救いはある。秋は紅葉がすばらしいそうだが、新緑が萌えいづる澄んだ空気も悪くない。深い谷に翳む霧が幽玄な雰囲気をかもし出している。山頂はかなりの絶景なので、これが見たくって走る人も多いのだろうな。かなりヒヤヒヤしながら走らなあかんけどな。

行者還トンネル付近で、車が多く見受けられた。じつはこの辺は世界遺産である大峯奥駈道の入り口で、登山客が大挙寄せる場所である。ここから天河神社の奥社にいけるのだと、さっき知った。しかし…こ、こんな雨の中でもか!?と突っ込みたくなるくらいに車やバイクがが20台以上あった。行者還トンネルは1200mほど有るが、トンネル内は照明が…ない。
トンネルを抜けても状況が変わるわけがなく、相変わらず狭く荒れたアスファルトの道を走る。とはいえ、トンネル前の荒涼とした雰囲気…常に命をドブに晒しているような感覚にも似ている…は薄れた気がする。キャンプや釣り客が多かったせいもあるのかしら。

わたらい渓谷まで来ると、当然対向車も増大して、何度も離合のために車を広いところまでバックした。しかしここまで来るハイヤーはすごいな!

どうにかこうにか、再び天川村に来てしまう。時間は午後2時前。そういえば、朝4時30分ごろにマクドハンバーガー食ってから何も食ってない。酷道険道のフルコースをいただいたせいか、緊張で空腹感を忘れてしまっていたようだ。かといって、天川村では結局何も食わなかったけど(爆)。
そして丹生川上神社下社へ参った。

  • 丹生川上神社下社(オフィシャルサイトがないので、こちらこちら参照。):二十二社の一つ。
    祀られているのは、闇龗神(くらおかみのかみ)。水の神様である。ここもそうだが、吉野界隈の神社は拝殿と本殿の間に長い急な階段が設けられている。おまけに本殿の周りは高い木や壁などに覆われていて、全貌が見えない造りになっとる。
    なんで丹生川上神社は3つもあるのかというと、丹生川上神社は一度廃れてしまった神社で、その場所が明治時代まで特定できていなかった。んで、調査したら今の丹生川上神社上社丹生川上神社下社のいずれかが丹生川上神社でない?ということになって、暫定的かどうかしらんが、この2つを丹生川上神社と名づけた。が!しかし、大正時代に入ってから、さらなる調査をしたところ、実は蟻通神社(丹生川上神社中社は当時、こう呼ばれていた)こそが真の丹生川上神社なのだ!ということがわかった。んで、中社が2つを押しのけていきなりトップに立っちゃったわけだが、戦後はこの3つは独立して別の神社になっている。

ふぃー。やっと書き終えた。あとですか?再び309号線を北上し、大阪市内までたどり着いて、高速で三田へもどった。家に帰ったら、また兄貴一家がバーべQやってた…あ、あんたら…。