大阪満願。

大阪府南東部のお寺のご朱印を集めてまいりますか。近畿道岸和田和泉ICから外環状線を北上すれば金剛寺に辿り付く。

  • 金剛寺:神仏霊場巡拝の道・第五十五番(大阪十四番)札所。山号は天野山。本尊は大日如来である。
    現在、平成21年から足掛け9年かけて解体修復工事を行っている最中で、本堂(金堂)はかくの如き状態で中に入ることが出来ない。それ以外の場所も、巨大な工事車両や足場が幅を利かせていて、参拝できないお堂もいくつかあった。


    そういうわけで、ここが現在の仮の本堂である五佛堂。大日如来が本尊だけあって、五智如来がおさめてあるのだ。


    楼門。鎌倉時代に造られたもので、重要文化財なのだと。


    食堂(じきどう)。南北朝時代に、後村上天皇が正平9年(1354年)から6年間この寺を行在所(ようするに、間借りだ。)にしていて、この食堂で大政を執られた(南朝を仕切っていた…でいいか?)そうで。吉野や河内やら南朝は京都を奪還すべく、転々としていたのねぇ。それ以来この建物は「天野殿」と呼ばれている。ちなみに伽藍の隣には、天皇が住んでいた「摩尼院」も残っているが、拝観料が必要だったのでやめた(おいおい)。


    多宝塔。大日如来が納められている。金堂の修復後は、こちらの修復を行うという。


    左、薬師堂。右、手水場。


    御影堂。看板によると…初代住職の阿観僧王が高野山から迎えた真如親王直筆の弘法大師の御影が納められていて、1179年に建立された重要文化財…なんだと。この写真を撮っているときに、仮本堂からお勤めを済ませたお坊さんが出てきて、ちょっとびっくりした(笑)。

    (2012年6月13日追記)オフィシャルサイトが出来てた。今までのリンクはこちら。つwikipedia:金剛寺_(河内長野市) つここ

先を急ごう。次は観心寺だ。

  • 観心寺:神仏霊場巡拝の道・第五十六番(大阪十五番)札所。山号は「檜尾山」、本尊は如意輪観音である。本堂は大阪府内で最古の国宝建築物である
    駐車場に楠木正成銅像があってなんでじゃろ?と思ったら、首塚がここにあることをパンフレットで知る。一応参ったけど、写真撮り忘れた。あと、先述した後村上天皇金剛寺を去った後に、この寺を行在所にしていた。崩御後この地に葬られ、現在その墓は後村上天皇桧尾陵として残っている。

    山門と、本堂までの道。受付のおばばが孫と一緒にいたりしてほっこりする。樹木もきちんと手入れしているわね。ちなみに、ここは関西花の寺の札所でもある。なるほど。


    訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)。鎮守堂とも呼ばれる。鬼子母神が祀られている。


    手水場。大抵の手水場は龍の銅像があって、その口から水が出る。龍神は水の神だからな。


    建掛塔(たてかけとう)。楠木正成建武の新政の成功を祈願して三重塔を建立予定だったが、湊川の戦で討ち死にしてしまい、未完成のまま残っているという。


    弁天堂。


    阿弥陀堂。俺が行った際には例祭かなんか行われてて、僧が何人も声明を唱えていた。傍らで四国八十八個所の白装束来た婆さまが拝んでいたが、他を廻りたかったので、後にする。


    大師堂と、その隣にある行者堂。大師堂の周りには四国八十八個所のお砂踏みができる。


    本堂のある伽藍をぐるりと囲むように「星塚」という柵に囲まれた塚が7つある。弘法大師がこの寺に訪れた際に、本尊の如意輪観音弘法大師が彫ったと言われているが、史実かどうか不明。)とともに北斗七星を勧請した。北斗七星を祀っているのは全国でもこの寺だけだ。7つ廻ると厄除けになるというが、結構険しい坂もあったりする。

さて、一通り参ったところで次に参りますか。一応星塚の名前を記しておくか。

貪狼星(とんろうしょう)→巨門星(こもんしょう)→禄存星(ろくぞんしょう)→文曲星(もんこくしょう)→廉貞星(れんじょうしょう)→武曲星(むこくしょう)→破軍星(はぐんしょう)

  • 叡福寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:叡福寺参照):神仏霊場巡拝の道・第五十七番(大阪十六番)札所。山号は「磯長山(しながさん)」で、本尊は如意輪観音
    ここは、聖徳太子の御廟(ごびょう…要するに墓だ。)がある寺でとみに有名だが、そのイメージが強すぎて本殿は完全に食われてしまっている印象。俺も最初ここは聖徳太子が本尊だと思ってたし(爆)。


    山門。


    左、手水場。右、多宝塔。多宝塔は思いっきり逆光で申し訳ない。


    聖霊殿と称する建物。パンフによれば太子堂とも言われ、聖徳太子の髪の毛が入った16歳の時の像と、2歳の時の像が納められている。


    聖徳太子御廟(ごびょう)前の二天門。


    聖徳太子御廟(ごびょう)。621年に亡くなられた聖徳太子の母である穴穂部間人皇后(あなほべのまのひとのこうごう)、翌年同時に亡くなった聖徳太子とその妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)が葬られているという。


    聖徳太子御廟の隣にある浄土堂。阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩が納められている。


    見真大師堂。見真大師(けんしんだいし)…とは親鸞の事であるとパンフで知った俺。親鸞がこの地に訪れた時(88歳の時!)に彫った自分の坐像が納められている。


    科長岡神社(しながおかじんじゃ)。天照皇大神、天御柱御柱大命、天児屋根命、品陀別命、八坂大神、道祖大神、保食大神、菅原道真公、市杵島姫命が祀られている。


    んで、弘法大師堂。


  • 弘川寺(オフィシャルサイトがないので、wikipedia:弘川寺参照):西国薬師四十九霊場・第十三番札所。山号は竜池山。西行という歌人でもある僧侶が晩年ここで暮らし、没した寺である。俳歌に明るい人間ではないので、知識としてここまで(笑)。山奥にひっそりと佇む古刹といった趣で、俺はこういう寺のほうが落ち着く。


    山門の類はない。


    長録元年(1457)に作られた弘法大師像があると、看板があったので、大師堂かな?調べたら「御影堂」だった。弘法大師がこの寺を中興して、かつては広い伽藍だったそうだ。


    何を納めているのかさっぱりわからなかったが、とりあえず撮ったお堂。帰って調べたら、護摩堂でこの寺の開基であると言い伝えられている役行者が祀られている。


    地蔵堂と、その向かいに合った鐘楼。


    鎮守社。それ以外はわからん。



    本堂横の道を歩くと現れる西行堂。西行を慕い、自らも歌人であった僧侶の似雲(じうん)が、江戸時代に建立した。


    西行堂をさらに奥へと進むと広場があって、そこにあるのが西行墳(左画像)と似雲墳(右画像)。似雲もこの地で晩年を過ごし、西行の墓の傍に葬られているのである。さらにこの奥には似雲が建てた庵の跡があるそうだが、時間の都合でやめた。

  • 道明寺天満宮:神仏霊場巡拝の道・第五十八番(大阪十七番)札所。主祭神として菅原道真天穂日命(あめのほひのみこと)、そして道真公の叔母、覚寿尼公が祀られている。元々は野見宿禰が先祖である天穂日命を祀る土師神社であったが、仏教伝来後、土師寺(はじでら)となる。その土師寺に道真公の叔母である覚寿尼が後に住み、道真公が大宰府に左遷される際に立ち寄ったと言われている。道真の死後、土師寺は道明寺と改称。明治の神仏分離で道明寺天満宮が独立し、現在に至る。


    神門と、本殿に至るまでの参道。丁度七五三の時期で、屋台も立ち並んでいたが、時間も時間ゆえ、店じまいしているのも多々あり(笑)。


    能楽殿


    土師社。前述したように、元々ここにあった神社である。祀られているのは天夷鳥命野見宿祢大国主命。近くに花ノ国なる元力士の手形があった。地元出身らしい。合わせて見たら、指の長さは俺と変わらないが、掌がチンパンジー並みに長くてデカかった。


    土師社近くの手水場。


    太夫社。道真公が大宰府に左遷される際にお供した白太夫が祀られている。


    霊符社。天御中主神を祀っている。このあたりでは、砂神様なんだって。


    八嶋社。土師八嶋が祀られている。まぁ、土師寺を建立するためにその土地を寄進した方だ。


    白光社。巳神の白光大神を祀っている。


    和合稲荷社

これにて、神仏霊場巡拝の道、大阪 豊楽の道を満願せりぃ!これで残るは滋賀、奈良、京都の一府二県だ!