観音正寺と長命寺
- 観音正寺:西国三十三箇所・第三十二番札所。山号は繖山(きぬがさやま)で本尊は千手観音。
推古天皇13年(605年)、聖徳太子がこの地を訪れ、自らの手で千手観音を彫り、収めたことが始まりと伝えられている。以来、湖東界隈では巨大な勢力を誇っていた。
室町時代に、近江国守護職・佐々木六角氏がこの山に観音寺城を築いてからも、氏の庇護を受けていたが、永禄11年(1568)、織田信長により観音寺城落城→六角氏も滅亡してしまう。むろん、庇護を受けていた観音正寺も焼き討ちに遭ってしまう。再興されるのは、慶長2年(1597)になってからである。
その後は特に大きな被害もなかったが、平成5年(1993年)5月22日に本堂が火災で本尊もろとも全焼してしまう。現在の本堂と本尊が完成したのが平成16年(2004年)になってから。オフィシャルサイトでは、住職が自ら托鉢に回ったとか、本尊の材料に、輸出禁制品だった白檀をどうしても使いたく、住職は何度もインドに渡って交渉したとか書かれている。
2012年には、なんと先の火災で焼失したと思われていた御前立ち像が寺の建物の中から発見されたという!
くわしくはこちら。つhttp://kurasiki.net/?p=1639
護摩堂の三十三観音の修復のために観音の整理をしていた時にたまたまでっけぇ段ボール箱があったので開けて見たら…あーっ!てなわけだ。
2012年5月22日(火事が起こった日と同じ!)に一般公開され、現在は修復中。その後は秘仏扱いにされて、次に見られるのが聖徳太子1400回忌にあたる平成34年(2022年)である。ちなみに、今の本尊は毎日ご開帳されているが、火事に会う前の本尊は33年に一度しかご開帳されていなかったという
細ーい峠道を走らされた後に、駐車場が見えてきた。そこから先も歩かされるんだが。コアな巡礼者は麓から登るという。
仁王像がお出迎え。この寺は山門はないのだ。
鐘楼。激しく撞いちゃダメよw。
水神舎。
馬頭観音。
地蔵菩薩と、何で石臼が?
弁才天。
北向地蔵尊。
書院。時々個展とかやっているそうな。
大日如来。
手水場。
白蛇大明神。
地蔵堂。
護摩堂。修験道の修行道場でもあるという。
太子堂。おみくじの創始者、元三大師も祀っている。
えんむすび地蔵尊。
魚籃観音。看板は「魚シ藍(←強引に書いたが、さんずいへんに藍である)観音」となっとった。
本堂から見た景色。
本堂の裏にある、紫雲殿なる納骨堂。
おちゃこ稲荷。
- 長命寺(公式サイトがないので、wikipedia:長命寺参照):西国三十三箇所・第三十一番札所。山号は姨綺耶山(いきやさん)で、本尊は千手観音、十一面観音、聖観音の三体である。
景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願し、そして宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。
時は流れて、聖徳太子がこの地を訪れて、この柳の木に刻まれた宿禰の文字と観音の御影を見て、いたく感歎してたところ、突然白髪のおじいさんが現れて「この木で観音像を彫りなさい。」と告げて消えた。太子は早速観音像を彫り、伽藍を建立した。そして武内宿禰にあやかって、この寺を長命寺と名づけた…と寺伝には記されている。
中世の長命寺は比叡山延暦寺西塔の別院としての地位を保ち、近江の国を守護していた佐々木氏の崇敬と庇護を受けていたという。しかし、永正13年(1516年)に兵火により伽藍は全焼。現存する堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたものである。
駐車場から本堂はすぐそこにあるが、麓から登ることもできる。ちょっと降りてみるか。
これが山門のようだ。こういう形の門を、冠木門という。これより下もまだありそうだが、とりあえず山門を見たし、引き返すことに。
引き返してみると…長い階段だな、おい!「八百八段」という通称を持つ階段である。
禅林院なる塔頭寺院。使われている…のか?
山門、もとい、冠木門。
手水場。
書院。
さぁ、もうすぐ本堂だ。
納札堂。
閼伽井堂。念仏を唱えると井戸から泡が出てくるとか。
三重塔。
護摩堂。
眺望。奥に見えるは琵琶湖ぞな。
本堂から渡り廊下で繋がっている、三仏堂。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来を祀っている。
三仏堂からさらに渡り廊下を歩くとある、護法権現社。武内宿禰を祀っている。
三仏堂と護法権現社の間にあるお社。主痘神を祀っているのだが、主痘神ってなんじゃ?
護法権現社から見た本堂。
経蔵?
妙法行堂。勝運将軍地蔵尊、智恵文殊菩薩、福徳庚申尊を納めているという。
鐘楼。ここからパンフレットと同じ構図の写真が撮れるのだ。
拕柷尼天尊(だきにてんそん)。ようするに、神仏習合だった頃のお稲荷さんだよ。檜皮に小銭が挟まっているのがなんか不気味やった。
眺望しょの2。
太郎坊権現社。この寺の鎮守社だ。祀られている太郎坊とは、後奈良天皇の時代に長命寺にいた普門坊なる坊さんが、寺の守護のために化けた大天狗の事だと。本殿の周りにある大岩は、いかにも天狗が座っていそうだが、太郎坊が京都の愛宕山に移り住んだ時に、長命寺を懐かしく思い、近くにあった大岩を投げ飛ばしたら(なんで!?)ここに突き刺さったという伝説がある。以来、この大岩は「飛来石」と名付けられている。
これで、あと三箇所で満願だぁ!