播州清水寺と穴太寺。

  • 播州清水寺西国三十三箇所・第二十五番札所。同じく西国十六番の清水寺と区別するために「播州清水寺」という通称がある。山号御嶽山。本尊は上記画像の講堂にある千手観音と思われがちだが、


    実は、根本中堂にある十一面観音なのである。ちなみに、こちらは秘仏
    歴史の方をば。寺伝によれば、推古35年(627年)推古天皇勅願により、法道仙人が根本中堂が建立したとされている。この際に、仙人が十一面観音、脇士毘沙門天王、吉祥天女の聖像を彫ったという。
    もともとこの地は水に乏しかったらしく、仙人が祈願したところ、霊泉が湧水しその事に感謝して「清水寺(きよみずでら)」と名付けられた。今でも境内には井戸がいくつかある。サンショウウオが生息するくらいに澄んだ水を滾々と湧かせつつ。ありゃ俺もびっくりしたわ。なにげに井戸覗いたら、そいつがいたんだから。
    神亀2年(725年)聖武天皇行基に勅願して大講堂を建立。
    中世や江戸時代の頃に関してはあまり記されていないのは、1913年(大正2年)の山火事で伽藍が全焼して、資料が焼失してしまったのかもしれない。なので、堂宇はそれ以降に建立されたものばかりだ。講堂と根本中堂は1917年(大正6年)に再建された。


    駐車場に入ると、お出迎えしてくれる仁王門。播州清水寺は、車以外に徒歩で登るコースがあって、仁王門はその出口に当たる講堂付近にあったが、昭和40年の台風で倒壊してしまった。んで、昭和55年に今の場所に再建されたわけ。


    手水場。


    薬師堂。昭和59年11月3日に再建・落慶された。創建は平清盛の義母「池之禅尼」によるという。納められている十二神将は、東京芸大の薮内佐斗司教授作。あのせんとくんをデザインした教授だ。もっとも、せんとくんが出来るかなり前(平成8〜13年)にこれらは造られたのだが。


    宝生池


    根本中堂へ向かう階段。道すがら、本坊への案内が。


    不動明王と、聖観音…だよね?


    本坊。昔はユースホステルだった記憶があるが…?


    地蔵堂常行堂跡地(後白河法皇によって建てられたと言われている。)に昭和57年11月3日に再建・落慶


    鐘楼。大正9年1920年)に再建された。ゴンと鳴らせる。


    多宝塔跡。看板によると、大正12年に再建されたが、昭和40年の台風で倒壊してしまったという。再建予定と言う事だが、目処は…。


    宝篋印塔。昭和9年護摩堂跡地に建てられた。パンフレットには、源頼朝が建立した阿弥陀堂跡もあると書かれているが、どこにあるのかわからずじまいだった。



    播州清水寺は、かつて幼稚園を経営していたという。その記念碑。


    滾浄水(こんじょうすい)。おかげの井戸とも呼ばれる。法道仙人がここで祈願して、湧いた井戸と伝えられる。


    根本中堂の左隣にある広場では、西国のお砂踏みができる。同じく、広場に納められている聖観音像。


    十三塔。野村さんという篤志家が昭和60年4月18日に建立した。


    吒枳尼天(だきにてん)尊。稲荷社。ご真言は「オン・ダキニ・ギャチギャカネイ・ソワカ」。

では、穴太寺に向かいますかの。